日本トラック競技の「大改革」

2016年、日本は2020年に行われる『東京オリンピック』に向け、ブノワ・ベトゥとジェイソン・ニブレットの2人のコーチを迎え入れた。
これまでは「大きな大会の前に集まり、短期間の合宿をして、それから大会に行く」というのが日本代表チーム。圧倒的に準備が足りない状態であったが、ヘッドコーチとして就任したブノワ氏によって、それが根本的に作り替えられることとなる。
代表選手たちは拠点である伊豆に住み、世界を見据えたトレーニングを中心とした生活を送る。スタッフや設備も整えられ、「世界と戦える選手」を育てるための体制が作られ始めた。
【前編】日本トラック競技の「未来」に続くプロジェクト トラック短距離ヘッドコーチ ブノワ・ベトゥ氏インタビュー/トラックナショナルチーム HPCJC
東京オリンピックに向けて動き出す、世界と日本

その取り組みが結果となって現れたのは2018年。5月に行われたモスクワGPで、小林優香が5年ぶりに200mFTT日本記録を更新(10秒814)。同年の世界選手権では河端朋之がケイリンの銀メダルを獲得と、日本トラック競技の「大改革」の結果が出たのがこの年だったと言えるだろう。
なおこの年、女子200mFTTに新しい風を呼び込んだ前田佳代乃が引退。新体制の日本チームへとバトンが渡される形となった。
この翌年である2019年9月、カナダのケルシー・ミシェル(Kelsey Mitchell)が約6年ぶりに200mFTTの世界記録を更新(10秒154)。

ケルシー・ミシェル
ミシェルはサッカーから自転車トラック競技に転身した選手。2017年にカナダの才能発掘プロジェクトをきっかけにナショナルチーム入りしているので、競技歴2年で世界記録を更新したこととなる。
また、2020年2月の世界選手権にて、小林優香が再度日本記録を更新(10秒712)。
東京オリンピックに向けて日本ナショナルチームが体制を整えていたように、各国が育成や機材の開発を行っていた、その結果が見えたのがこの時期だったとも言えるだろう。
残念ながら1年延期となった東京オリンピックで、日本は短距離のメダルを獲得することはできなかったものの、小林は本大会中に自身の持つ日本記録を更新(10秒711)。2016年からのプロジェクトの一つの結果が、このタイムだった。
パリ新世代の躍進

前田、小林と受け継がれてきたバトンは、パリオリンピックに向けた世代である選手たちに正しく渡された。
2023年6月にマレーシアで行われた『アジア選手権』では、日本から女子スプリントに出場した3選手が、全員日本記録を更新。
太田りゆ | 10秒596 |
佐藤水菜 | 10秒610 |
梅川風子 | 10秒643 |
ここから2024年のパリオリンピックに向け、頭角を現したのは佐藤水菜。世界新記録が生まれない中、どんどん日本記録を更新し、世界記録への距離を縮めていく。
日本記録 | 世界記録 | ||||
タイム | 選手名 | 記録日 | タイム | 選手名 | 記録日 |
10秒711 | 小林優香 | 東京オリンピック(2021年8月) | 10秒154 | ケルシー・ミシェル | 2019年9月 |
10秒596 10秒610 10秒643 |
太田りゆ 佐藤水菜 梅川風子 |
アジア選手権(2023年6月) | |||
10秒587 | 佐藤水菜 | アジア競技大会(2023年9月) | |||
10秒563 | 佐藤水菜 | ジャパントラックカップⅡ(2023年11月) | |||
10秒514 | 佐藤水菜 | ジャパントラックカップⅠ( 2024年5月) | |||
10秒479 | 佐藤水菜 | ジャパントラックカップⅡ( 2024年5月) |
そして2024年8月、佐藤はパリオリンピックの大舞台で10秒257の日本新記録を樹立。世界記録へまた一歩近づく成果を出したものの、同大会にてドイツのリー ソフィー・フリードリッヒ(Lea Sophie Friedrich)が10秒029を記録し、世界の記録がまた一段上がった結果となった。
そして世界は9秒台へ 加速するトラック競技

冒頭で紹介したように、2025年3月にユアン・リインが女子200mFTTとして初めて9秒台を記録。これがパリオリンピック以降、約半年ぶりに記録された世界記録である。
9秒976の記録が驚異的すぎるが、これに次ぐ記録を出したのは日本の佐藤水菜。10秒170で日本記録を更新しており、それまでの世界記録保持者であったフリードリッヒもタイムで抑えている。
1位 | ユアン・リイン(中国) | 9秒976 ※世界新 |
2位 | 佐藤水菜(日本) | 10秒170 ※日本新 |
3位 | リー ソフィー・フリードリッヒ(ドイツ) | 10秒189 |
4位 | ヘッティ・ファンデヴォウ(オランダ) | 10秒191 |

1993年に10秒台に突入し、約30年かけて1秒加速した女子200mFTT。
日本もまた、2012年の11秒469から13年かけて1秒以上タイムを縮めている。
また男子も(違反判定され取り消しになったが)8秒台間際のタイムが出ており、一層の加速の中にいる。
2028年のロサンゼルスオリンピックの頃には、どのようなタイムが生まれているのか?新世代の躍進や各国の育成の成果、そして機材の開発が生み出す「世界新記録」を楽しみに見守りたい。