2025年8月17日、函館競輪場。『第68回オールスター競輪(G1)』決勝で悲願の初G1制覇を果たした寺崎浩平。
デビューから約5年半での初戴冠。順調なキャリアにも思えるが、背後にはさまざまなストーリーがある。
この記事では、過去の行ったインタビュー記事などを紹介しながら、その物語をあらためて紐解いていく。
寺崎浩平 プロフィール

てらさき・こうへい
1994年1月4日生まれ / 福井・117期
通算成績(2025年8月17日決勝競走後)
デビュー日 | 2020年1月16日 |
出走回数 | 330 |
1着回数 | 118 |
通算獲得賞金 | 251,518,600円 |
史上初の養成所早期卒業

実家が自転車ショップであり、高校から自転車競技をスタートさせた寺崎浩平。
進学した法政大学も含め中長距離種目を中心に実績を残すが、「短距離寄りの脚質だった」ことから競輪選手を志すようになり、2019年に日本競輪選手養成所に117期として入所すると、第2回記録会でゴールデンキャップを獲得。菊池岳仁とともに史上初の“早期卒業”を果たした。
卒業時には、「デビュー後は一気にS級まで駆け上がりたいです。3年以内に地元の福井G3で優勝、その後はグランプリに出場できるような選手になることを目標に、そして、脇本雄太選手と肩を並べられるような結果を残せる選手になりたいです」と語り、福井の大先輩を目指しデビューを迎えることとなる。
デビュー後はさまざまな最速記録を更新

デビュー後はその言葉のとおり連勝を重ね、2020年2月にはA級2班、3月にはS級2班へ特別昇級。
さらには、デビュー後わずか79日で史上最速でのS級優勝、同年7月の『サマーナイトフェスティバル(いわき平)』でデビュー最速での特別競輪出場と、競輪界の様々な記録を塗り替えていく活躍を見せる。
競技の世界でも活躍

過去に行なったインタビューでは、自ら「出来過ぎ」と語る華々しい競輪選手としてのデビュー。
そして同時に、トラック競技日本ナショナルチームにも所属し、パリオリンピックを目指し活動。2020年10月に『全日本選手権トラック』チームスプリントで荒川仁、山崎賢人とともに金メダルを手にすると、2021年に国際大会デビュー、2022年にはケイリンでアジア王者に輝くなど、競技の世界でも活躍していく。
ちなみに、2022年のアジア選手権が行われたのはインド・ニューデリー。カレーが好物だという寺崎に、現地で食べたカレーのことをしつこく聞いた変わり種のインタビューも存在している。
日本の競輪が楽しい ナショナルチームを離れる決断

競技、そして日本の競輪で着実に歩を進めていくが、2023年に行われたパリオリンピック前最後の『世界選手権』後に、ナショナルチームを離れることを決断。
この時実施したインタビューでは、さまざまな理由を語る中で、「日本の競輪が楽しいと感じた」ことが大きな要因だったと語っている。