2025年12月22日。山﨑賢人と小原佑太が、ナショナルチームでの活動に区切りをつけることが発表された。
本稿では、引退に際して行った山﨑賢人のロングインタビューを掲載する。
山﨑が「やり切った」と言い切れる理由は、2024年の『世界選手権トラック』ケイリンで世界一の頂に到達し、日本に37年ぶりのアルカンシェルをもたらしたこと。
2024パリオリンピックの舞台には届かなかったが、偉大なる先人たちのバトンを受け取り、次につなげる重要な役割を担ってきた、今のナショナルチームを作り上げた選手だ。
日本が誇るアフロ怪人が自転車競技を引退する。
競技者として過ごした時間を振り返りながら、ナショナルチームでの日々と、競輪選手に一本化して歩む次のステージへの想いを語ってもらった。
一生残る「ワールドチャンピオン」の勲章
Q:ナショナルチームでの活動、おつかれさまでした。やり切りましたか?
やり切った感、それはあります。
Q:そう思える理由は?
それはもう、2024年の『世界選手権トラック』ケイリンで金メダルを取れて、世界一になれたことですね。オリンピックに出ることはできませんでしたが、ひとつの目標は達成できたのかなと思います。
Q:先日(12月19日)、ナショナルチームとして最後の練習を終えたそうですね。
はい。最後の1本を走るとき、スタッフの人たちもみんな出てきてくれて。ラストランを見届けてもらえて、すごく嬉しかったです。
Q:ジェンソン・ニブレット短距離ヘッドコーチが言っていましたが、「ワールドチャンピオン」というのは一生に残る勲章です。
そう言ってもらえると、嬉しいですね。
11月に行った岐阜の合宿で、ジェイソンと話したときは少しうるっときました。
Q:引退を決めてから、他の選手やコーチと触れ合う中で、感慨深い場面はありましたか?
どうですかね……。いま、短距離の若いメンバーはオーストラリアに行っているのですが、その出発前日くらいに、三神(遼矢)が「ご飯行きましょう」って言ってきたんですよ。「なかなか行けなくなっちゃうから」って。別に大した話はしなかったですけど、2人で行くのは初めてだったので、新鮮でした。
Q:2人とも独特な雰囲気がある選手なので、どんな会話になるのか興味あります(笑)。
意外と、ちゃんと盛り上がりましたよ(笑)。
完璧な伏線回収
Q:競技生活の中で最も印象的だった瞬間は、やはり2024年の『世界選手権』となりますか?
2021年の『ネーションズカップ第2戦(香港)』のスプリントも、すごく覚えています。
2回戦で、ロ・ツ・チュン(香港)選手に反則負けしてしまったんですよ。おそらく勝てたであろう相手に負けたことで、ブノワ(・ベトゥ元短距離ヘッドコーチ)にめちゃくちゃ怒鳴られて。そこから、僕の競技人生が始まった感じがあります。
Q:その年から、世界大会に出始めたんですよね。山﨑選手は、脇本雄太選手や新田祐大選手ら、2020東京世代のバトンを受け継いだ選手であると認識しています。
そうですね。2020オリンピックをもって脇本さんや新田さんが競技から離れて、僕はその年に初めて『世界選手権』に出場しました。ケイリンで決勝に上がれたのですが、何もできず、レースにまったく参加できなくて。力の無さを思い知った大会で、泣きながらレース後のインタビューを受けたんですよ。
Q:今振り返ると、あの決勝はハリー・ラブレイセン(オランダ)が金メダルで、ジェフリー・ホーフラント(オランダ)が銀。今でも第一線で戦っている選手が多いです。
良いメンバーですよね。あの頃が懐かしいな。
Q:悔しくて悔しくて泣いていた山﨑青年が、3年後の大会で世界一に。ドラマがありますね。
自分で伏線を張って、完璧に回収できましたね(笑)。
