【前編】小学校の卒業文集に記した「競輪選手になりたい」雨谷一樹選手の半生

雨谷一樹

自転車トラックナショナルチームの男子チームスプリント、その第1走はかつてない程激しい戦いを繰り広げている。チームスプリントの第1走として1、2を争うのは雨谷一樹選手だ。作新学院時代から東の雨谷・西の深谷と呼ばれ、東京オリンピックを目指し、現在も共に競技そして競輪でしのぎを削る。

この前編の記事では、雨谷一樹選手が自転車競技の選手を志したきっかけ、家族との関わり、深谷知広選手との出会いから、現在の生活状況について紹介しよう。

JPC(雨谷一樹/河端朋之/脇本雄太)

JPC(雨谷一樹/河端朋之/脇本雄太)

十文字さんに憧れて

小学校の卒業文集「競輪選手になりたい」

自転車競技を始めたキッカケを教えてください。

小学生の頃、地元茨城の先輩である長塚さん(※1)とか十文字さん(※2)達の姿を見て「かっこいいな」って思ってて。小学校の卒業文集にも「競輪選手になりたい」って書いてました。

十文字貴信 Photo by Henri Szwarc/Bongarts/Getty Images

十文字貴信 Photo by Henri Szwarc/Bongarts/Getty Images

※1 長塚智広:茨城出身の元競輪選手。アテネオリンピック チームスプリント銀メダリスト。
※2 十文字貴信:茨城支部所属の競輪選手。アトランタオリンピック1kmタイムトライアル銅メダリスト。

足腰を鍛えるためにサッカー

小学生時代はずっと空手をやって、中学生になってからは並行でサッカーも始めました。ただ、サッカーは自転車をやるために始めたんですけど。

中学校に自転車部って無かったんですよ。なので、とりあえず足腰を鍛えよう、ならば走り周るサッカーだな、って。

サッカーのポジションはフォワードでした。足が速いから誰かが蹴ったボールを全力で追ってシュート。中学で始めたからテクニックは無い分、そういう所で頑張ってレギュラーで10番つけてました。

県の選抜メンバーに呼ばれるくらいだったんですけど、やっぱ自分の夢は自転車だなって思ってもいました。

作新学院時代、深谷知広との出会い

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