どうなる?マディソン選考基準
当初の選考基準では「世界選手権を走った選手が枠を獲得した場合、オリンピック出場もその選手となる」となっていました。
世界選手権の出場予定は自分とカジ(梶原悠未選手)でしたが、直前にカジが落車して走れなくなった関係で、実際は稀絵と自分のペアで世界選手権を走りました。
だからこの場合どうなるんだろう・・・というのがはっきりわかっていなくて。自分が選ばれる確証がなかったんです。ずっと不安でしたね。
Q:つまり、シーズン中ずっと不安が続いていたということですよね。
そうです。選考期間中は比較され続けて、新型コロナの関係もあり、終わったら終わったでなかなか決まらなくて。だからオリンピック代表内定を知らされた時、いったん不安が落ち着いたという部分が大きかったです。
女子チームパシュートの飛躍と挫折
Q:女子中長距離チームは、チームパシュートでのオリンピック出場も目指していたかと思います。
イアン(・メルビン前中長距離ヘッドコーチ)の時はチームパシュートが練習の大部分のウェイトを占めていました。「全員でチームパシュートを走り、東京には全員で出場する」が最初の目標でした。そしてクレイグコーチが来た後にチームとして実力不足を受け入れて、別の種目での東京五輪出場に切り替えることになりました。
Q:チームパシュートも途中までは良い調子でしたよね。日本記録を立て続けに更新していきましたが、ある時期を境にタイムが上がらなくなっていきましたね。
そうですね。だんだん崩れ、立て直せなくなり、最後には自分たちも走るのが怖くなっていたので・・・。
「スタートをより速くする」作戦を取っていたんですが、スタートに対して不安を持つ選手が多かったり、「まずスタートで千切れてしまったらどうしよう」という不安を持ったり。チームパシュートでは持ってはいけない不安を持ち始めてしまったように思います。
走り方を変えたことも要因のひとつだったとは思うんですが、チーム内で噛み合わなくなって、今まで走れていたタイムもキツく感じてしまったり。
1回目で出し切ってしまって、2回目以降はカスカスになってしまう・・・というのが、崩れ始めた頃のチームの状態でした。その前がうまく行っていただけに、落差がすごくて・・・・
Q:あの頃は良かった、的な。
そうです。「あの頃は楽しかったね・・・」みたいな状態でした。今となっては笑って話せますけど。