陸上競技に明け暮れた中学時代
小学4年の時から陸上競技を始めました。ごく限られた人しか活躍できない世界であることは理解していたけれど、でも「世界を目指したい」と思って取り組んでいました。そこから中3まで陸上を続けるんですが、中3の時に怪我をしちゃって。
そこから約1年の間、ストレッチなど「怪我をしないような体づくり」をしたんですが、でも時間が余って暇になってしまう。「することないな、でも体を動かすと腰痛いし」という中で「これをきっかけに、何かしろってことなのかな」と思うようになりました。この期間を「マイナスの期間」にしたくないなと思ったんです。
陸上は頑張ってやっていましたが、本気で集中していたかというと、今の自転車ほどではなかったかなと思います。しんどいこともやっていたけれど、ただ言われたことをやってるだけ。一定のところまでしか強くなれないような感じがありました。友達もすぐ近くにいて、オフになったら体のケアもそこそこに遊びに行っちゃう。……だから怪我したんだと思いますけど。
でも「体を動かして食べていきたい」という想いがありました。ほんのひと握りしかやっていけない陸上を目指すんじゃなくて……と考えた時、小学生の時に見た「競輪」を思い出したんです。
それまでにも遊びとして友達と自転車で競い合うこともあったし、結構自信もありました。「これでどこまで行けるか試してみたい」と思ったんです。
中高一貫校を離れ、高校から北海道へ
陸上を頑張りたくて強豪の中高一貫校に通っていましたが、高校は北海道に行くことにしました。今の師匠は大森慶一(北海道/88期)さんですが、そのお父さんが函館大谷高校の自転車競技部を指導しています。師匠と自分の親が親交があり、そこを頼ることにしました。
Q:退路を絶った感じですね。
あまり迷いはありませんでした。このまま陸上をやっていても……たぶん成長はしていけたと思うけれど、でもこれで食べていけるわけではないなと思ったから。「チャレンジしてみて無理やったら仕方がない、やって後悔しよう、とりあえず行動しよう」と思いました。
Q:喋り方にも大阪の人っぽさが残っていますが、競輪選手としての登録は北海道にするんですよね?
はい。師匠も北海道ですし、北海道で一から自転車を教えていただきました。初心者の自分に優しくしていただいたので、北海道の選手としてS級に上がって恩返ししたいと思っています。
それに北海道にいれば、どれだけ友達に会いたくても会えませんから。大阪にもあんまり帰っていません。