2023年10月26日、毎年年末に行われる競輪のビッグレース『ヤンググランプリ2023』の出場予定選手が発表された。これはデビュー3年以内の若手選手が対象となるレースで、その年の「若手のNo.1」を決めるレースだ。

2023年の選出対象となるのは、第119、121、123回生として卒業した選手。この中には2人のナショナルチーム(日本代表チーム)所属メンバーがいる。

競輪と国際舞台での活躍に期待大、中野慎詞&太田海也が早期卒業・日本競輪選手養成所121回生

太田海也と中野慎詞。

両者とも121期の「早期卒業選手」として同期よりも早いデビューが許された選手で、そして自転車トラック競技の日本ナショナルチーム(日本代表)としてパリオリンピック出場を目指す選手でもある。

この記事では2人の競輪・競技における概略をご紹介。「競輪は見るけど、競技のことはあまり……」という方や、逆に「オリンピックは気になるけど、競輪はよくわからない……」という方、双方に「パリオリンピックで活躍しそうな、有望な若手を競輪の世界でも見ることができるんです!」ということをお伝えしていこう。

幼い頃思い描いた夢へ 中野慎詞

筆者が最初に中野慎詞の名を認識したのは『全日本選手権トラック2019』の時のこと。当時東京2020オリンピックに向け脂が乗りまくっていた、新田祐大・河端朋之とともにケイリンの表彰台に登った大学生。それが中野だった。

幼少期から自転車を遊び道具とし、小学生の頃には「競輪選手になる」と心に決めていた中野。その決意通り学生時代から競技で力を磨き、大学生のうちに自転車トラック競技日本ナショナルチームに加入している。

早期卒業の中野慎詞がデビュー戦で完全優勝「夢見た舞台へ立った」

その後中野は、元々の夢である競輪選手になるために競輪選手養成所に入所。競技で磨いてきた能力は養成所でも高く評価され、通常より早くプロデビューできる「早期卒業制度」によって2022年1月1日にプロデビューを果たす。

前橋で行われたデビュー戦では、3日間1着の完全優勝。中野はそのまま18連勝を重ね、無傷でS級へ特別昇級*を遂げた。

※競輪選手はデビュー時はA級3班。通常は年2回の級班入れ替えによって選手としてのランクが変動するところを、「完全優勝(開催中全レース1着での優勝)を連続3回すること」で特別にA級2班へ(特別昇班)、さらに3回完全優勝でS級に上がること(特別昇級)ができる。

中野慎詞, 男子スプリント予選, MEN'S Sprint Qualification 200mFTT, 2023トラックネーションズカップ ジャカルタ, 2023 TRACK NATIONS CUP Jakarta, Indonesia

競輪選手としてのプロデビューと同時期(2022年)より、ナショナルチームメンバーとしてレースに出る機会も増えた中野。しかし「怪我や落車が続いていて、気持ち的にも辛いところがあって、正直『もう無理なんじゃないかな』と思うタイミングもあった」という。パリオリンピックに出場できる選手(短距離男子・個人種目)は最大2人で、この限られた椅子を取るためには成績でアピールする必要があるにも関わらず、中野はめぼしい結果を出せていなかった。

転機となったのは2023年3月、エジプトで開催された『ネーションズカップ第2戦』。ここで開催された男子ケイリンで、中野は金メダルを獲得する。

「ネーションズカップでは『ここでメダルを獲らないと、俺のパリ五輪への道は終わる』という状態。でもネーションズカップの金メダルをきっかけに自信を取り戻して、トレーニングにも身が入るようになりました」

中野慎詞, NAKANO Shinji, JPN, 男子ケイリン, MEN Elite Keirin, 2023世界選手権トラック グラスゴー, 2023 UCI CYCLING WORLD CHAMPIONSHIPS TRACK Glasgow, Great Britain

勢いを取り戻した中野はその5ヶ月後、8月に行われた世界選手権でケイリンの銅メダルを獲得*。誰にも文句を言われない舞台で、誰にも文句を言われない成績を残したことで、今や「ナショナルチームの中で、パリオリンピックに一番近い男」となった。

※『ヤンググランプリ2023』の選考基準には「世界選手権自転車競技大会個人種目金メダル獲得者、ケイリン銀・銅メダル獲得者」というものがある。すなわち中野はこの「世界選手権銅メダル」によってヤンググランプリ出場権を獲得したこととなる。

中野慎詞

そして中野は、この世界選手権から帰国してわずか4日後にスタートした『オールスター競輪(G1)』に出場。このレースでG1デビューとなった。この時は準決勝まで駒を進めたものの、6日間を通して見れば一番良い順位で2着(3日目 一次予選②)。G1初勝利を決めるのは、2度目のG1である『寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント』の最終日まで持ち越しとなった。

G1初勝利を決めたレース後のインタビューでは、

「オールスターから失敗ばかりです。初日のインタビューでも『思いっきり走って経験を』とは話していたんですが、自分が思った以上の失敗をしてしまってがっかりしてしまった、というのが今の気持ちでした。

(最終日は)気合を入れてイチから1着を目指す、同じミスをしないようにとしっかり集中してレースに臨むことができました。小さな一歩かもしれませんが、まずそれができたことが、今日ひとつ良かったことだなと思います」と語った。

中野慎詞, 最終日5R, 寬仁親王牌, 弥彦競輪場

怪我や落車、レースでの失敗と、苦い思いも数多くしている中野。それでも「幼い頃思い描いた夢」を一歩一歩着実に叶えつつある。

経験ゼロから日本代表へ 太田海也

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