例年年末に行われるKEIRINグランプリシリーズ。シリーズ初日となる12月28日には、若手No.1を決めるレースである『ヤンググランプリ2024』が開催される。
昨年のこのレースで優勝し、2連覇を狙う太田海也(おおた・かいや(岡山/121期))。オリンピックに出場するアスリートでもある太田について、これまでの経歴から2024年の成績まで、改めて紐解いていこう。
挫折の先にあった自転車
幼少期から中学までは体操、レスリング、タグラグビー、そしてサッカーとさまざまなスポーツを経験してきた太田。高校では「その高校で一番有名な部に入りたい」とボート部に入部し、インターハイ優勝などの成績を残す。勢いそのままにボート推薦で大学に進学したものの、世界を目指す中で挫折を味わい、大学を中退。ボート競技での道もここで途絶えてしまう。
しかし、その挫折が新たな転機をもたらした。大学を辞めて紆余曲折の結果自転車ショップで働くこととなり、その中で自転車の魅力に出会う。「自転車に乗ることが仕事になれば良いのに」と考えた結果、たどり着いたのは「競輪選手」の道だった。
新型コロナ禍真っ只中の2021年に日本競輪選手養成所に入所。同期には高校・大学の自転車競技部で活躍した選手も多くいたが、彼らに負けない力を発揮し、第1回記録会から成績優秀者に与えられる「ゴールデンキャップ」を獲得。一躍「注目の候補生」となった。
競輪選手として、そしてアスリートとして
その後も成果を出し続け、自転車トラック競技ナショナルチーム加入、養成所の早期卒業を達成。名実ともに「競輪・トラック競技に現れたスーパールーキー」となっていく。
競輪選手としては2022年頭にデビュー。ナショナルチームの活動で競輪への出走本数が限られるものの、デビュー翌年の2023年からはG1レースにも出場。11月の『競輪祭』では決勝戦まで進出している。
そして昨年末に行われた『ヤンググランプリ2023』。
今年グランプリに出場する北井佑季を退け優勝。若手No.1の称号を手にするに至った。
一方、トラック競技では2022年から国際大会に出場をスタート。『2022アジア選手権』チームスプリント金メダルを皮切りに、さまざまな大会でメダルを獲得した。
2024年夏、大舞台の結末
そして迎えた2024年夏、パリオリンピック。
チームメイト、スタッフ、ファン、そして関係者からの期待は高く、本人にも十分な実力があった。メダルを期待されていたし、その可能性は確かにあった。
しかしブノワ・ベトゥ テクニカルディレクターが「理不尽な判定」と表現するさまざまなミスマッチがあった結果、3種目に出場した太田は、いずれの種目でも喜ばしい結果を得られずに終わってしまう。
「理不尽な判定がなければ、チームスプリントは4位にはいけたと思います。スプリントとケイリンでも、メダルに手が届いた可能性があるでしょう。ただ確かに日本側のミスもあったので、審判側が何も言えないような、綺麗な走りをしなければなりません」——ブノワ・ベトゥ
「これまでの国際大会で同じようなシチュエーションになっても、警告を受けることは一度もありませんでした。失格に納得いかない気持ちはありますが、ジャッジを委ねることになるということは、自分が弱いということ。認めるしかないのかなと思います。オリンピックという舞台で失格を取られたという結果に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。根本的に脚力をつけ、釣り合わないようなスピードをつけるしかないのかなと思います」——太田海也
初めてのオリンピック。
全てを終えた太田にこの舞台を総括する言葉を求めると、「苦い思い出なのかなと思います」と答えた。