けれど、「競技が楽しい」という想い
オリンピックの2ヶ月後には世界選手権が控えていた。その直前に行ったインタビューを紐解いてみると、太田はオリンピックでの出来事を「次につなげるために起きたことなのかなと感じています」と語っている。
「正直にいえば、終わった時は『こんな経験したくなかった』と思いました。自分のなかでも、あのとき得た経験は、まだ変化している途中だなとは感じます」
オリンピックが終わり、しばしのオフを挟み、再び世界と戦うためのトレーニングの日々が始まった。その中で太田の中に芽生えたのは「競技が楽しい」という想い。
その想いをバネに、太田は再び世界との戦いの中に身を投じた。
悔しさを経て、掴んだ世界選手権のメダル
そして迎えた世界選手権。この大会で、太田は2種目で銅メダルを獲得するという快挙を達成する。チームスプリントでは日本史上初のメダル獲得、スプリントでは35年ぶりのメダル獲得となった。
「(男子スプリント)3位決定戦で戦ったニコラス・ポール選手はオリンピックで負けている相手でしたが、自分のことだけに集中して、いつもやってる走りを出すことだけを考えていました。
オリンピックが終わって、この世界選手権に出るかどうか迷うくらい辛い時期もあったのですが、チーム全員が鼓舞してくれて、この舞台に立つことができました。アルカンシェル(金メダルとともに授与されるジャージ)を狙っていたので悔しい思いもありますが、銅メダルを獲れてすごくよかったと思います」
光と闇の2024年の締めくくり
本記事ではオリンピックからの流れに文字を費やしてきた。ここまで読んでいただけたならば、太田に「オリンピックで味わった悔しさ」と「世界選手権で味わった喜び」があったことがよくわかっていただけるだろう。闇と光が駆け巡るような濃厚な1年間が、締めくくりを迎えようとしている。
2024年12月28日、静岡競輪場で行われる『ヤンググランプリ2024』。その年を成績優秀で駆け抜けた若手競輪選手のみが出られるレースで、出場規定は「デビュー3年未満であること」。太田が本レースに出られるのは今年で最後だ。
前年覇者である太田海也は、構図としては迎え撃つ立場といえるかもしれない。
11月の競輪祭では、決勝進出はならなかったものの、最終日のレースで新山響平とがっぷり四つの力勝負を披露。
12月に入ってからも玉野競輪(ひろしまピースカップ/G3)に出場し、松浦悠士を引き連れ長い距離を先行するなど、牙を研ぎ続けている。
2連覇のかかる、そして一生で最後の出場となるヤンググランプリ。それだけでなく、波乱万丈の1年を締めくくる大事なレースでもある。太田にとって悔いのない、素晴らしいレースとなることを願いたい。