2021年、日本競輪選手養成所に第121回生として入所した太田海也。ボート競技からの転向という珍しい経歴で入所した太田は、早々にゴールデンキャップ(記録会での成績優秀者に与えられる特別な帽子)を獲得、早期卒業候補者に選出されるなど、入所直後にその頭角を表した。
養成所を早期卒業し、同期の候補生たちより早い2022年1月に卒業した太田は、プロになると同時に自転車トラック競技日本ナショナルチームにも加入することになった。
ナショナルチームのニューフェイス、太田海也。「一筋縄ではいかない」バックボーンを紐解いていく。
体操、レスリング、タグラグビー
Q:自転車の前はボート競技をやっていたとのことですが、改めてスポーツの経歴をお聞かせください。
幼少期は体操からスタートしました。小学1年生くらいで辞めたのですが、次に同じ敷地内でやっているレスリングを始めました。しばらくはレスリングだけをやっていて、その後はタグラグビー……ラグビーをする子たちが小学生の頃やるようなもの、を始めて、何年かレスリングとタグラグビーを掛け持ちしていました。
中学に上がってからは、レスリングと並行してサッカー部に入りました。レスリングは中2で辞めて、そこからはサッカー1本にしましたが、それも3年生で一旦終わりにしました。高校でボート競技に出会いましたね。
Q:ボリューミーな経歴ですね。
幼い頃からいろんなことをやっていたのですが、自分に合う競技とは出会えていませんでした。自分が幼かったからとか、気持ちが甘かったということもあるんですが、「仕事にしたい」と思うまでのスポーツはありませんでした。
Q:ご家族もスポーツをされていましたか?
家族は……弟が陸上をちょっとやっていたくらいで、スポーツ一家ではなかったです。体質的にも、あまりスポーツ向きではない一家だったと思います。姉は動くだけで発作が出るような感じでした。