幼少期からの夢が「競輪選手」

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全ての始まりは「競輪選手」だった

近谷涼,豪雨の中で訓練スタート、日本競輪選手養成所 (JIK)第121・122回生

「競輪に進む」と決めた時、窪木一茂選手や橋本英也選手がしているように、競技との両立も視野に入れていました。でも彼らを見ていて「競輪競走に、本数的にあまり出れていない」とも感じていました。結果の話ではなく、物理的に同期の選手の10分の1くらいしか走れていない。それはちょっと「自分のやりたいこととは違うな」と思ったんです。

僕はもともと、自転車競技を始めたきっかけが「競輪選手」でした。

6歳の頃からの夢を叶えるんだし、もっと深く競輪に入り込みたいなと感じたんです。引退するまでにできる限りたくさん走りたい。

それはきっと何かを犠牲にしないとできないことで、その結果として、ナショナルチームを辞めることを決断しました。

Qualifying / Men's Team Pursuit / TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP IV, Cambridge, New Zealand, 近谷涼 今村駿介 窪木一茂 沢田桂太郎

Q:競輪選手になることが幼いころの夢だったんですもんね。

はい、原点でした。中学の時にインターネットで競輪選手になる方法を調べて、富山県の自転車愛好会に参加しました。そこでプロの方に走り方を教わったり、高校自転車競技の関係者と知り合いになったり。

高校に入って競技を始めたときも「卒業したら競輪選手になりたいので、よろしくお願いします」と言って入りました。そうした中で競技を知って没頭していきましたが、競輪選手になりたくて全てが始まったんです。

Q:先ほどの話からすると、近谷選手は「東京だったからオリンピックを目指した」部分が大きいですよね。仮に東京開催でなければオリンピックを目指していなかったかもしれないですか?

そうですね。東京に決まったことでしっかり競技に専念することを決めたので……東京2020オリンピックが人生を変えました。

脚質的にも性格的にも、両立は難しい

一丸尚伍, 近谷涼, 日本競輪選手養成所, 第121・122回生, 第1回記録会

Q:競輪選手養成所での生活で感じることはありましたか?

一丸(尚伍)さんや沢田(桂太郎)くんなんかは短距離寄りの中長距離選手ですが、僕は長距離寄りの選手だと思います。競輪に必要なスキルの、絶対的なスピードの面では足りない部分を感じました。もちろん中長距離のスキルで活かせることもたくさんあるのですが……

ロード寄りの選手が、短距離種目である競輪をやるわけです。脚質的にも、両立するのは厳しいと感じました。

自転車競技を諦めたと言われたらそれまでなんですが、自分の性格的にも、やるならとことんやりたいんです。両方をこなそうとして、どちらも中途半端になるのは嫌だった。

全てを捨てて、30歳での競輪デビュー

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