全ての始まりは「競輪選手」だった

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全てを捨てて、30歳での競輪デビュー

近谷涼 第121・122回生 日本競輪選手養成所 第1回トーナメント競走

養成所での訓練を経験していく中で、競輪と中長距離の両方でトップを目指すのはとてもハードルの高いことだと実感しました。しかも僕は今29歳で、デビューの時には30歳になります。「30歳でデビュー」という年齢的な面も含めると、一刻も早く競輪に集中したいとも感じました。同期には18、19歳なんかもザラにいますからね。

僕自身、競輪をしたい気持ちがすごくあります。会社(三和シヤッター)も辞めて、ナショナルを辞めて、ロードレースを走ることも減るので、ブリヂストンとも疎遠になる。たくさんのものを捨てることになります。それでも競輪を走りたい。

周りには「様々なことを辞めず続けた方が、活動の幅も広がるし良いんじゃないか」と言われることもあります。

多くの人に止められましたし、逆に賛成してくれる人もいました。最終的には自分で考えて、決断しました。

現実を突きつけられた「最下位」

近谷涼,日本競輪選手養成所, 第121・122回生, 第1回記録会

決断に至った理由の大きな一つとして、養成所に入って最初の記録会があります。僕は200mTTで最下位だったんです。舐めているつもりはなかったですし、ある程度予想もしていましたけど、実際「最下位」という結果を見ると「あ、そうだよな」と現実を突きつけられました。

スタートが遅い分、普通の速度で成長していたら間に合わない。競輪一本で突き進まないと、納得しないままで終わってしまう。そんな焦燥感もありました。

Q:そう決意したのはいつ頃だったんでしょう?

養成所の受験を決めた段階で、規定の都合もあり、会社を辞めています。その時点で「もしかしたら競輪一本にする必要があるかもしれない」とは少し思っていましたね。

ただ、第1回の記録会の結果を見て「ナショナルをやっている余裕はない」と決心がつきました。

近谷涼 第121・122回生 日本競輪選手養成所 第1回トーナメント競走

Q:200mTTでの最下位、決心の理由としてはとても明確ですね。

はい。養成所の先生方も「鉄フレームに乗ってこなかったし、これまで中長距離だったし、仕方ないよ。これから頑張ればいい」とフォローしてくださったのですが、僕としては全然納得できませんでした。当然、他の候補生の方が速いでしょう、速いだけの理由がたくさんあります。でも特別選抜で入っている手前、頑張らなければいけないという思いも強かったです。その時に両立は無理だな、と決心がつきました。

Q:もしその時200mTTのタイムがもうちょっと出ていたら、この決断じゃなかったかもしれないですね。

そうですね。でもあのタイムがとどめだったような気がします。

それ以外にも、同期の強さに心を動かされた部分もありました。

大人になっても夢を追いかける

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