7月1日より、S級S班への“復帰”となった松浦悠士。7月3日の小松島競輪「阿波おどり杯争覇戦(G3)」より、赤パンを着用してのレースが始まる。

グランプリ王者として迎えた2024年は怪我にも苦しみ、5年にわたって保持してきたS班の座を逃すことに。
“半年ぶり”の復帰となる今、なにを思うのか。『高松宮記念杯競輪』直後に話を聞いた。

どこよりも早い“新SSジャージ + 赤パン”姿の写真とともに、お楽しみいただきたい。

なによりも、ビックリ

Q:まずやはりお聞きしたいのが、S班復帰が決まった瞬間について。知った瞬間、どんな感情が沸きましたか?

嬉しいという気持ちもありましたが、なによりもビックリしたというのがいちばんでしたね。平原さんが引退するということも、まったく頭になかったですし……

Q:平原選手が引退を公表されてから少し時間がありましたが、その間も特に意識せずでしたか?

自分としては意識はしていなかったですけど、周りから「繰り上がるの?」とたくさん聞かれました(笑)。ただ実際、自分もお話をいただいたのは発表された当日(6月10日)でしたし、本当にわからなくて……

悔しさと共に手応えを得た『競輪祭』

Q:時計の針を少し戻して2024年最後のG1『競輪祭』。グランプリ出場は「松浦選手が優勝」するか、「脇本選手が優勝し松浦選手が2着」という条件のなか、脇本選手が優勝し、松浦選手は3着。残念ながら、S級S班の逃すことが決定しました。

グランプリを逃してしまい悔しい思いもありましたが、良いパフォーマンスを出せたと感じる開催でした。厳しい条件という緊張感とプレッシャーの中で良い走りができたというのは大きな収穫で、S班を外れてしまったショックよりも、良い経験になったなというのが大きかったです。

松浦悠士, 競輪祭, 小倉競輪場

Q:2024年は大きな怪我もあり苦労された中で、準決勝まで4連勝という走りでしたね。

いい意味で吹っ切れたという部分もありますし、しっかり状態を立て直して挑むことができました。決勝もかなり希望を持って走ることができた。「来年(2025年)この状態でしっかり戦えれば、大丈夫だな」っていう思いはありましたね。

Q:会場の雰囲気も、松浦選手の優勝を期待している方が多かったように感じました。

ありがたかったですね。走っていてもお客さんの熱というのはすごく感じることができて、自分自身もすごく盛り上がりました。
連携した選手たち、そしてお客さんにすごい助けられた開催だったと思います。

松浦悠士, 競輪祭, 小倉競輪場

Q:グランプリへの条件のひとつでもあった、2着への意識というのはありましたか?

いや、考えていなかったです。あくまで、1着にこだわるレースというテーマでやっていました。
最後の4コーナー、前に脇本さんと犬伏くんが見えている状態だったので、犬伏くんを抜けば2着=グランプリということは一瞬よぎりましたけど、余裕がなくて脚も回らず……前の2人が強かったです。

5年ぶりに“外”から見たグランプリ

Q:年末のグランプリはご覧になりましたか?

はい、見ました。(清水)裕友を応援していたのですが、外からだとレースを冷静に見ることができましたね。最終周の2コーナーで「今仕掛ければ……」と思ったり。

清水裕友, KEIRINグランプリ2024, 静岡競輪場

清水裕友(KEIRINグランプリ2024)

Q:5年ぶりに外から見たことで、来年はこの舞台に、という思いが強くなりましたか?

グランプリでその思いが強くなった、ということはなかったですね。「自分がいたらこう走ったな」ということを考えていました。

S班であることのメリット

Q:2025年の前半はいかがでしたか?落車や体調を崩されたりもありましたが、S班でないことの難しさは感じましたか?

久々にF1開催にもいけて、すごく新鮮な気持ちで走れましたね。 周りから、「S級パンツが似合わない」と言ってもらえることはありましたが(笑)。

Q:S班の選手はシードやビッグレースへの選出などさまざまな優遇措置がありますが、そういった影響はありませんでしたか?

それこそF1に関して言えば共同通信社杯(G2)の権利*を得ることを考えての出場でしたし、調整の面ではS班でいることのメリットはありますよね。
ただ、いちばん大きいのは相手関係かもしれないです。S級1班の場合、記念以上の開催では勝ち上がりでS班の選手と当たる確率が高くなる。そういう部分で、今まで受けていたメリットの大きさというのは感じましたね。

※『共同通信社杯』は選抜方法に「F1決勝1位~3位回数上位者」が組み込まれている

松浦悠士の「競輪道」とは?

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