カゴつきの自転車で大会出場、競輪選手との出会い

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遊び道具、相棒だった自転車

Q:中野少年は、自転車の何に魅力を感じていたのでしょうか?

家の周りに何もないんです。お店や友達の家に行くにしても、歩いていけるような距離じゃない。田んぼ、りんご畑・・・その先にやっと友達の家があるような土地でした。子どもが使える移動手段は自転車だけでしたし、スピードを出すのも面白かったです。下り坂で「これくらいスピード出して曲がれるかな!?」ってやってみて結局曲がれなくて、田んぼに突っ込んだりしてましたね。

稀にゲームも買ってもらいましたが、すぐ飽きるタイプでした。移動手段であり、スピードで遊べる道具でもある自転車が一番面白かったのだと思います。

Q:「自転車は相棒」みたいな感じでしょうか?

そうですね、自転車が友達でした。自転車以外なら、家が農家なので耕運機で遊んでいました。勝手に動かして横転させたり、マフラーから水を入れてみたり・・・その度に父にはこっぴどく叱られるのですが、懲りずにまた遊んでましたね。

Q:ご兄弟は?

姉が1人と、弟が1人います。子どもの頃は姉と遊ぶことはほぼなかったですが、今は薬剤師なので、よく薬の相談を聞いてもらっています。姉はスポーツファーマシストを目指していますが、僕の影響もあるみたいです。

弟と遊ぶことはあったのですが、弟はゲームも得意なんですよね。僕はゲームが苦手だったので、最終的には1人で外遊びでした。今は弟も自転車をやっているのですが、僕と真逆の脚質で、ロードをやっています。

Q:弟さんが自転車を始めたのは中野選手の影響ですか?

・・・だと思っていたのですが、僕が高校時代に出たJOCのレースで、沢田桂太郎さんの走りを見て憧れて始めたらしいです。僕じゃないんです(笑)。「お兄ちゃんと同じ競技は絶対にしたくない」って言ってました。

スポーツ万能、でも「チームスポーツは禁止」

小さい時はペンなんて全然握っていませんでした。宿題は学校でやってしまい、家に帰ったらずっと自転車や耕運機、ロケット花火で遊んでいました。

Q:自転車、スキー以外のスポーツはしていましたか?

スポーツは割となんでもできる方だったのですが、毎週学校から電話が掛かってきて、親が呼ばれるような問題児でした。なので母が「チームに迷惑をかけるから、団体スポーツはやらせない」と決めていたようです。小学生の間はスキーの他に、誘われてサッカーやバスケを少しだけやりました。中学ではスキーにも活きると思って陸上部に入っていました。

Q:陸上はどの種目を?

短距離を走っていましたが、部で一番遅かったです。小学生の時は走るのが速い方だったのですが、スキーをやっていると太ももが発達してくるんですよね。それで結構遅くなってしまいました。でも楽しんで走っていましたし、部活引退までの間にだいぶタイムも縮まったので、良い年月ではあったと思います。

Q:アルペンスキーの成績はどこまで行ったのでしょうか?

小学生の時に日本一になって、中学では全日本ジュニアで7位になったのが最高成績でした。中学に入ったら周りのレベルも一気に上がって、思うようにはいかなかったです。でもやりきって、悔いのない終わり方をして自転車に移りました。

「ぶっ倒してやる!」

Q:生粋の自転車小僧だった中野選手ですが「自転車に乗って楽しい」という思いは今もありますか?

今でも楽しいです!タイムが出る、結果が出るという世界が自分には合っていると思います。2020年は9秒台で走ることが出来たのですが、長い間超えられなかった「9秒台の壁」を超えられて、それが「数字」という目に見えるデータでわかる・・・そういうことを「楽しい」と感じます。

Q:怖さは?

前はありました。大学1年でエリートカテゴリーのケイリンに出た時、周りとの力の差を感じました。ギリギリの距離で捲られて「コケるかも」と怖く思いましたが、対等に戦えるようになるにつれ、その感覚はなくなりました。

男子エリート スプリント / 2019全日本トラック

「怖い、死にたくない」と思ってしまうとチャンスを逃してしまう。この表現はもしかしたら良くないのかもしれませんが、自分としては「死んでもいい」くらいの気持ちで走っています。「コケたとしても、そうそう死にはしない」と思って、恐れずに走っています。

だからレースの時は気持ちも大分荒くなりますね。相手が大先輩であったとしても「ぶっ倒してやる!」みたいな気持ちで挑んでいます。例えば相手が深谷(知広)さんだとして、深谷さんが自分より強いことは十分にわかっていますが、だからって「じゃあ負けても仕方ない」とは思いません。

「ぶっ倒してやる!」ってなります。

全日本選手権、あの時何が起きていた?

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