全日本選手権トラック2019』男子ケイリンの表彰台。そこではプロ競輪選手やナショナルチームメンバーに混じり、1人の大学生が肩を並べていた。

中野慎詞。宮沢賢治の故郷としても知られる岩手県花巻市に生まれた彼は、2019年にナショナルチーム加入。2020年は新田祐大が代表を務めるDreamSeekerRacingTeam(ドリームシーカー)にも加入し、ドリームシーカーの一員として2020年の全日本選手権トラックに挑んだ。しかしそこでの結果は意外なもので・・・

メディア露出がまだ少ない中野慎詞選手へ、ロングインタビューを実施。アルペンスキーをしていた小・中学生時代、全日本選手権トラック2020の舞台裏、オリンピック、そして競輪選手を目指す理由など、たっぷりとお話を伺った。

カゴつきの自転車で大会出場、競輪選手との出会い

Q:自転車との出会いはいつ頃だったのでしょうか?

競技としての自転車を始めたのは高校1年生からです。ですがその前、小学3年生の時、自転車の大会に飛び込んだことがきっかけでした。

当時はアルペンスキーをしていたのですが、スキーの大会会場で「春に自転車の大会がある」という広告が出ていました。僕は田舎育ちだったので、遊び道具が自転車でした。競技とか関係なしに、遊び道具として自転車を乗り回していたんです。母もそれを知っていたので「出てみたら?」と。軽い気持ちで大会に参加しました。

それでカゴのついた自転車で大会に赴いたんですが・・・周りはロードレーサーばっかり(笑)母もびっくりしちゃって「場違いだから帰ろう」と言われたんですが、せっかくだから出場することにしたんです。その時は30人くらいの出場者の中、9位に入りました。

その大会のリザルトを見て「同じ小学校の子がいる」と思ったら、それが今の師匠である佐藤友和さんの親戚にあたる子だったんです。それがきっかけで同じ市内、しかもかなり近所に競輪選手が住んでいることを知りました。

同じくらいの時期にあったGⅠに佐藤友和さんが出場していて「あそこに住んでる人だよ」と教えてもらって・・・その走りを見て「速い!かっこいい!競輪選手になりたい!」って思ったんです。自転車をやりたいと思ったのはこれがきっかけでした。

その後にあった競輪選手たちとの触れ合いイベントで佐藤友和さんに会えたこともありましたね。当時佐藤さんが乗っていた恰好良いロードレーサーがあって「将来、兄ちゃんのこのロードレーサーやるから」と言われたことも覚えています。でもまだもらっていないのですが・・・・(笑)

その時に「スキーは中学卒業までに悔いなくやりきって、高校からは自転車をする」と決めました。

小学4年生の時にアルペンスキーの全国大会がありました。そのタイミングで「ドロップハンドルのロードレーサーが欲しい」と父に言ったら「この大会で優勝したらな」と・・・父としては「できるはずもない」と思って言ったんでしょうね。でも優勝しちゃったんです(笑)それで買ってもらったのが、初めてのロードバイクでした。でもその後も練習というよりは、楽しんで自転車に乗っていました。自転車に乗るのが心底好きでしたね。

遊び道具、相棒だった自転車

1/4 Page