先生と呼ばれていた時代

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日本で指導者が育ちにくい理由

河端朋之

Q:エドワード・ドーキンスの引退は、河端選手はどう思いましたか?

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海外の選手としては妥当かなと思います。

日本チームが高齢化し過ぎなだけで、他のチームはもっと若いですし、普通といえば普通の選択なんじゃないですかね。しかも彼は次の仕事も考えてやっていましたし、オリンピック後はそっちへ行くつもりで段取りを進めていたのではないでしょうか。だからタイミングを逃すこともできないし、辞めることを選んだのではないかと思います。

Q:日本は競輪があるので、競輪選手であれば競技を引退しても競輪へ戻れます。そういう部分で他国とは事情が違いますよね。

ラッキーとも言えますね。ブノワコーチ(・べトゥ短距離ヘッドコーチ)もそんな話はしてました。「他の国は引退後にコーチの道に進む選択肢があるけど、日本は競輪に戻る、つまり現役の選手として続けるという選択肢がある。そのような状況が日本の短距離コーチが育ち難い環境になっていたのかもしれない」と。

Q:河端選手は将来的に指導者になるつもりはありますか?

いや、絶対になりたくないですね。たぶん選手より大変ですよ。自分の事ですらわからないのに、各個人それぞれの特徴を見極める・・・みたいな力が必要だと思いますし、それが自分にはないと思います。

それからブノワコーチが「コーチに必要なのはコミュニケーション能力と、やる気だ」って言ってました。自分には「どっちも無いな」と思ったんです。僕コミュ障ですから(笑)

河端朋之

Q:人見知りってことですか?

そうですよ。知らない人とはあまり喋らないですよ。話せるようになるまで時間がかかります。

Q:そうやって時間が掛かる人の方がコーチに向いている、などは思いませんか?

まずコニュニケーションを取りたくないので(笑)マジで向いてないです。

Q:過去に、選手として命を終えたいと言っていましたね(笑)

そうです。それが幸せです。生涯レーサーとして生きたいです。