サクセスストーリーから外れ

「チームスプリントを走る前はメダルを獲る意識でいたので、タイムがどのくらい出るのかワクワクしていました」

そう新田は切り出した。

「自分の中で『スリップしないように、力をどうやって入れるか』とか、細かい部分に注意して走ったつもりでした。しかし、スタート半周後から自分の思いとズレが生じ始め、良い走りが出来ていないことを感じていました。結果としてタイムは出せませんでしたし、チーム競技ですから、この種目に懸けていた僕ら皆が大きく落胆しました。凄く責任を感じました」

日本は大会初日のチームスプリントでメダル獲得果たす実力を十分に備えていた。誰もがそう信じていた分、結果を受けての落胆も大きく、うまく気持ちの切り替えが出来なかった。

お前は痛みを感じているのか?

「チームスプリントで枠の獲得は無くなり、ケイリンへ気持ちの切り替えがなかなか出来ませんでした。その責任を感じ、ほぼ眠れませんでした。同時にチームとして個人のスプリント、ケイリンの枠は獲得出来ると、大会前からほぼ決まっていたので、そこへ誰が選ばれるのか?その枠取り合戦において、自分の立場はかなり厳しくなったとも感じました」

過去の失敗を引きずっている時間はない。大会スケジュールは淡々と進み、新田の出場種目も次から次へと始まる。

様々な思いが頭を駆け巡り、新田は集中が出来なかった。

そんな新田を鼓舞したのは、選手と共に戦い続けてきたブノワ・べトゥ短距離ヘッドコーチだ。

「自分でもチームスプリントの翌日にあったケイリンで、集中出来ていないのは感じていました。ワールドカップ第4戦でチームスプリントで優勝した後、その翌日のケイリンでもブノワコーチから『頑張って集中しようとしている雰囲気だ』と言われました。その時の感覚に似ていると思いましたね。『これではマズいな』と思いつつ、1回戦を走ったのですが、やはり結果は良くない。このままでは負けてしまうと思っていました。

その中で脇本が勝ち上がり、どうしようかと思っていた時に、ブノワコーチが『お前は痛みを感じているのか?』と言ってきました。『痛みを感じていないなら、走っていないのと同じだ。ちゃんと痛みを感じて走れ』と。

『あ~、そうだった』と思いましたね。

今まで散々苦しい練習をしてきたのに『今、この実際のレースで楽をしようとしている』と気づいたんです。

その後の敗者復活戦から、目が覚めたというか、集中してレースが出来ました。敗者復活戦で気持ちが大きく変わりましたし、2回戦も気持ちが入った状態で走れていました」

本当に勝利を思い描けていたか