家族のサポートがあってこその現在

Q:ご両親は自転車競技を行うことに反対していませんでしたか?

母は教師の道を推していて、父はプロスポーツ選手を推していました。父が一番応援してくれ「プロの自転車選手として走っている姿を見たい」って言っていました。好きな事をさせてもらえましたね。僕がやりたいと言ったことは大体やらせてくれました。

Q:でも競技用の自転車は高価ですよね?

そうですね。初めて買ったのも50万円とかでした。

Q:50万円!?

最初は借りていたんです。でもロードバイクを買わないといけなくなって。TREKを勧められ、さぞいい自転車なんだろうと調べてみたらすごく高くて。最初は親も驚いたけど「これに乗って上を目指して頑張りなさい」と言ってくれて。

最終的にどうしたのかはわかりませんが、おばあちゃんから封筒を貰い、親と一緒に買いに行きました。でもこの時「本当に結果を出すしかない」と思ったのは覚えています。高い物を買ってもらって申し訳ないという気持ちはあったけれど、僕が結果を出すことで恩返しをし、親が喜んでくれたらいいなって。

それからとにかく頑張って練習し、次の大会から入賞しました。ロードも入賞し、そこからインターハイ、国体、選抜・・・って全部入賞して、大学にも声をかけて頂いて。結果的には良かったと思っています。

Qualifying / Men's Team Pursuit / Track Cycling World Cup VI / Hong-Kong

Q:いつまでその自転車は使っていましたか?

大学2年生くらいまでですね。もうボロボロです。落車で傷もついて、パーツも補修しながら使って。そのフレームはまだ大学に置いてあります。

Q:でも50万円は凄いですね。

僕もそう思いますよ。子どもに50万円の自転車をパッと買えるかと言ったら「ちょっと待てよ」ってなります(笑)だからあの時、親はどんな気持ちで買ったのかなって。ただ、僕が本気だったことは親も分かっていたと思うんですよね。

自転車に捧げた青春、その背中を押していたのは「50万」

文化祭も運動会も出ず、友達とも遊ぶ時間もなく合宿、大会。そんな形で高校3年間を全部自転車に捧げて来ました。

卒業式が終わり、すぐ福島に移動して大学の入学式まで合宿とか。朝3時すぎに起きて学校に移動し、朝練して授業に出て、家に帰って来ては制服のまま寝て、また朝起きて。自分の時間を自転車に捧げてきて、親はそれを見てくれていたからこそ、僕も結果で返すのに必死だったんです。本当に必死でした。

自分よりも、いつも指導してくださる先生方とか、家族の笑顔とかの喜ぶ顔が見たくて走っていました。僕が頑張って入賞して新聞に載ったら、親とか親の店のお客さんとか先生とか皆が喜んでくれるんです。大学生になって成長してきてからは色々考え方が変わって来ましたけど、高校の時はとにかく必死でした。

Q:50万円に背中を押されていたと。

そうですよ。ホントそうです。結果を出せた事によって親は喜んでくれたのかなって思っています。でもカーボンフレームなので、どうしてもガタが出て、フレームも剥離してきて。流石に買い換えざるを得なくなりましたが、ボロボロになるまで使い倒しました。

Q:凄いですね。やっぱり、ご家族が素晴らしいです。

そうですね。子どもってお金もないし、やりたくても親の許可がないと出来ない事が多いと思います。そういう面で幅広く色んな事へ挑戦させてもらえたのはありがたかったです。高校入学前に親へ言ったんです「自転車を本気でやって日本一になりたい」って。

Q:有言実行は凄い。

そこだけは、ちゃんとやりきりたいって思っていました。大学に行く時もそうでしたが、親に「これを全部やり遂げる」と自分の目標や夢を全部言ってきました。でも親は簡単に認めてくれず「教員免許も取れよ」と。「じゃあ僕はそれも全部やる」って言いました。だから月曜から土曜日まで、授業も1限から6限までパンパンにありました。でも教職もちゃんと取って親との約束は守りましたね。

Q:綺麗なストーリーですね。

誰でもストーリーはあると思いますよ。分岐とか挫折とか色々あって。

Qualifying / Men's Team Pursuit / Track Cycling World Cup V / Cambridge, New Zealand

とここまで前編・後編に分けて伝えてきた近谷涼選手のインタビュー。
現在はトラック競技がオフシーズンということもあり、ロードレースに出場し選手としての幅を広げている最中だ。
真っ直ぐ自転車と向き合ってきた近谷選手が突き進む先に辿り着くのは?
トラック・ロードと両立させる近谷選手、これからの活躍や如何に?