初めての海外生活
毎日のトレーニングはしっかりスケジューリングされており、プロアスリートの1歩目を経験させてもらったのがW.C.C。初めての海外暮らしでは、もちろん人は違うし、生活スタイルが違えば、言葉も違う。
当時すでに英語は話せるようになっていたけれど、ここはフランス語。ここの人はプライドが高いのか、スーパーの店員に商品のことを英語で尋ねても、絶対に英語では答えてくれない。
当時10〜12人の選手でチームとなり、食事やトレーニング、オフの時など一緒に過ごしていた。その半分以上が南アメリカ出身の選手であり、その影響からフランス語圏にで暮らしていたにも関わらず、スペイン語の方が得意になっていた。
決断
前置きは長くなったが、僕は決断した。ここW.C.Cに拠点を戻し、冬季に行なっていたトラック競技から一旦離れる。BMXレースで東京2020のメダルを狙う、と。
オリンピック2種目出場は自分にとって大きな目標で、誰も成し遂げたことがないからこそ、自分のモチベーションになっていたのも確かだ。何か話題を作りたいと思ったのも確かだし、最初はトレーニングのつもりで始めたトラック競技が、自分のベースパワーを上げてくれたのも確かだ。
そしてなりより、それを応援してくださったスポンサー様や、仲間達、受け入れてくださった日本自転車競技連盟や、コーチ/トラック競技のナショナルチームメンバー、全ての協力があったから、トラック競技でも世界選手権まで出場することができた。感謝しかない。
人脈を作ることや行動力という、自分の武器を最大限にも使えた。トラック競技を離れて以降も、常に情報交換は続けていて、僕はとても貴重なトラック競技2シーズンを送ることが出来た。そして僕みたいなタイプの人間はトラック競技界にはいなかったであろうから、少しは雰囲気をオープンに変えれたんじゃないかと思う。笑
小林優香選手と2017-18トラックワールドカップ2戦マンチェスターにて 新田祐大、深谷知広選手とdream SEEKER LIVEを配信そして、BMXをトラック競技や競輪選手へ、その反対のトラック競技をBMXにと、少しだけ繋がりを創ることが出来たんじゃないかと思う 。BMXの可能性を十分に見ることが出来たし、伝えれたんじゃないか。
そんな可能性を感じつつ、トラック競技での2シーズンから、次の2年を考えたとき「BMXに専念し、BMXをやり切りたい」と思うようになった。