運動神経抜群で「浮いてた」学生時代

競輪選手になる前からすでに「オリンピックに出たい!」と思っていたと伺いました。

そう思ってましたね。まだ何にも出来ないのに。

自転車じゃなくても、ずっとスポーツをやって来たし、卒業文集にも「オリンピックの選手になりたい」って書いてました。やっぱりどこかに憧れはずっとあったんだと思います。

2020年に東京オリンピックの開催が決まった時には、競輪学校を受験する前でした。まだ全く自転車に乗れないときから師匠(早川成矢)に「オリンピックに出る機会があるなら、オリンピックに出れるような競技もしたいです」って言ってましたね。

それは自信があったから?

うーん、自信があったって言うか、逆に「なんか出来るかもしれない」って、全く自信がなかったから、そう思ったのかもしれないです。

競輪選手になる決意をしたときも自信はあったのですか?

初めてワットバイク(ペダルの付いた自転車トレーニングに特化した器具)に乗ってみたときに、測定された数値がすごかったみたいで、大学の先生が「お前すげえぞ!」って言ってくれたんです。大学の先生だから色んな選手のデータを持ってるんですよ。それと比べても出色の結果だったみたいで。それで「お、まじか。そうなんだ」って、それが自信になったというのはあると思います。

けどその時点では競技のケイリンやガールズケイリンのルールは知らなかった?

そうですね。

だけど「いける!」って思えた根拠は?

小さい頃に、周りから“浮く”くらい体育の授業で目立っていたんです。保育園のときには走るのが異常に速くて、小学生になったときに特技を書くことがあって、そのときに「走ること」って書いたら、次の日に男の子たちが集団でやってきて、「お前走るのが得意なんでしょ?じゃあ勝負しようぜ」ってなっちゃって。それでクラスで一番速い子と競争したら、あっさり勝っちゃった(笑)

だから学生時代は陸上部にいたんです。

「ギャル化」しながらジムインストラクターに