中野慎詞
悔しい気持ちが強いです。トップ2人に力で劣っていることは感じていましたが、レース運びや自分の力を有利に持っていくことなどはきちんとでき、積極的に走れていたとは思います。決勝のレースもグレーツァー選手の番手を確保して「いける」と思える動きができました。そういう部分は良かったんですが、最後につなげることができなくて残念です。
Q:ペーサーが抜けてペースが上がったあたりはどのように考えていましたか?
どんどん仕掛けていくようなレースが多く、「誰が動くのか、動かないのかはもう予想できない。冷静に『感じて』レースを運べ」とコーチからも言われていました。ある程度いつでもダッシュできるよう準備をしていて、しっかり対応ができたと思います。
あとは力負けなのかな、というのが今の気持ちです。トップ2人は一瞬で捲るようなスピードがあり、トップスピードが全く違うと感じました。
Q:落車したあたりのことは?
マレーシアのシャローム選手が寄りかかってくるような形になり、それでバランスを崩しました。そこはなんとも言えないですよね。耐えられたら良かったんですが、耐えられなかった。脚も使ってのレースでしたので、落車したということは余裕もなかったのだと思います。
Q:強みのロングスプリントは大会を通じて活かせましたか?
ロングスプリントを維持することはできていますが、より上のスピードで維持しないとオリンピックでは通用しないと感じました。ロングスプリントはできるけど、スピードが遅ければ簡単にまくられてしまう。もっとハイペースで戦えるような力を付ける必要があります。
Q:初めてのオリンピックで決勝まで勝ち上がりました。
オリンピックという舞台で積極的に走れており、それが決勝まで繋がったのだと思います。レース中も冷静に周りの動きを見て判断することができました。準決勝に関しても、前でもがきあっているのを見て無理に行かず、周りを見て判断していくことができました。
持久的な強化という面では、チームパシュートの練習でも鍛えていただけました。とても良い経験ができたなと思います。
Q:決勝戦は事実上「日本チームにとって最後のメダルチャンス」でもありました。
あまり考えていませんでした。自分のやることに集中しないと、プレッシャーをかけてパフォーマンスを下げています。自分の「メダルを獲りたい」という気持ちだけでした。
Q:表彰台への距離はどのくらいあると感じますか?
自分の持つ能力、テクニックや脚力をしっかり活かせば狙える位置かなと思います。「ほど遠い」というわけではないと感じました。
Q:落車の影響は?
先ほどレントゲンを撮ってきて、鎖骨を骨折していました。
Q:今後の活動について決めていることはありますか?
オリンピックのメダルはやっぱり獲りたいですが、でも現時点ではやり切ったような気持ちもあります。骨折もしてしまいましたし、気持ちもちょっと落ちているので、今の時点ですべての判断はできません。これから回復して練習していくうちに気持ちが定まっていくと思います。
太田海也
Q:レースを終えて、今どのような気持ちが一番大きいですか?
僕たちの練習環境は日本の競輪ファン、そして競輪選手1人1人がサポートしてくれている、世界でも最高峰の環境です。にもかかわらずメダルが1つも獲れないという結果になってしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。これまで以上に自分を追い込む必要があると感じました。
Q:順位決定戦を走ることができず、込み上げるものもあったかと思います。
初日のチームスプリントから納得いかない判定がありました。この7日間「明日はいい日になる、明日はいい日になる」と思ってやってきて、でも審判員とうまく噛み合わなくて……心も折れそうでしたが、僕1人の決断で折れてはダメだと思いました。(山﨑)賢人さんだったり、寺崎(浩平)さんの繋いでくれた想いがある。毎日毎日一生懸命走りました。
これまでの国際大会で同じようなシチュエーションになっても、警告を受けることは一度もありませんでした。失格に納得いかない気持ちはありますが、ジャッジを委ねることになるということは、自分が弱いということ。認めるしかないのかなと思います。オリンピックという舞台で失格を取られたという結果に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。根本的に脚力をつけ、釣り合わないようなスピードをつけるしかないのかなと思います。
Q:中野選手に託すような形にもなりました。
競輪選手養成所の頃から中野選手は強く、憧れてきて、でも世界はもっと強いのかなと思って、慎詞と切磋琢磨してきました。そうして気づいたら世界のトップレベルと戦えるようになって、一番近くに本当に良いライバルがいるという環境でした。慎詞を超えられたら世界も獲れるのだと思っています。もっと力をつけて頑張っていきたいです。
決勝戦は「チームでメダルを1つでも獲れれば、ロサンゼルスに向けて良いスタートが切れる」と思って、本当に最終コーナーまで期待して見ていました。
Q:初めてのオリンピックはどのような舞台になりましたか。
苦い思い出なのかなと思います。
Q:4年後への想いは現状いかがですか?
世界と戦えると思ってここに来て、でも金メダルには遠いということを実感しました。4年後は金メダル、悪くて銅メダルというところを狙って、目標を持って練習するしかないのかなと思います。
ボート競技を諦めて自転車にやってきて、「自転車競技では何があっても諦めない」と師匠とも約束してここまで来ました。気持ちは誰よりも強いと思っています。
「4年後」と思うと怖いです。でもそれでも、どんな小さな一歩でも一歩一歩踏み出していって、自分の実力を上げ続けることに集中したい。そうして気づいたら4年後だったと言えるよう、日々練習に取り組んでいきます。
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