事故を経て、競輪からパラサイクリングへ転向した田中祥隆選手。その数年後、田中選手が降り立ったのはアメリカ。パラサイクリングの公的な国際大会「2023UCIパラサイクリングワールドカップ」へ出場するためだ。

その傍らにいたのはコーチの野口一成*氏、通訳の案浦攻*氏。特筆すべきは、この3人が全員「元競輪選手」ということ。

※ワールドカップ アメリカ大会時、野口氏・案浦氏は別選手のコーチ・通訳として同行

ハンドサイクルを始めたきっかけなどについて伺った前編に続き、後編では”福岡の競輪トリオ”によって実現した「UCIパラサイクリング ワールドカップ」出場への道のりに迫る。

インタビュー前編はこちら▼

【前編】競輪選手からパラサイクリストへ「プロスポーツへの憧れ」と出会いが紡いだ第2の競技人生/田中祥隆インタビュー

“福岡の競輪トリオ”略歴

名前 府県/期別 競輪引退年 競輪引退後の主な経歴
田中祥隆 福岡/81期 2013年 2022全日本パラサイクリング選手権ロード2位
2021全日本パラサイクリング選手権ロード優勝
野口一成 福岡/48期 2007年 JPCF強化スタッフ(2022)
案浦攻 福岡/65期 2007年 UCI2022マスターズ世界選手権トラック スプリント優勝(55〜59歳)

“福岡の競輪トリオ” 約10年ぶりの再会

田中祥隆選手, JPCF提供

(左から)案浦攻, 田中祥隆, 野口一成

Q:前半では田中選手にここまでの経歴や普段のトレーニングについてお話を伺いましたが、ここからは御三方にお話を伺います。3人は競輪選手時代から交流がありましたか?

野口:3人とも福岡所属でしたので、もちろん一緒に競走に出走したことがあります。案浦くんと私は同じ久留米競輪場がホームバンクで、一緒に練習をすることもありました。田中くんは先行一本でみんなが納得するようなレースをする選手。周りから慕われていました。

Q:元競輪選手の3人が再会したのはいつですか?

野口:一堂に集まれたのは、2023年に開催されたアメリカでのワールドカップの時ですね。競輪選手だったころ以来の再会でした。私は他の選手のコーチとして同行していましたが、選手の田中くん、通訳の案浦くん、という形で3人が揃いました。

Q:再会した時の思い出を教えてください。

野口:大会直前、私と案浦くんはホテルで一緒の部屋に泊まりました。昔話と「明日の(田中選手の)レース、どうしようか?」という話を延々としていましたね。

案浦:一気にタイムスリップしたような感じだったのを覚えています。ご縁でまさか、あんな場所で再会できるとは思ってもいなかったので。

田中:再会した時に案浦さんに「刑事長(デカちょう)!」って呼ばれて、競輪選手時代の自分のあだ名が「刑事長」だったことを思い出しましたね(笑)「最近、刑事長って呼ばれてないなぁ」と思って……。僕も競輪選手時代に気持ちが戻りました。

Q:「刑事(デカ)長」の由来は?

田中:小倉の現役競輪選手、城戸崎隆史さん(福岡・76期)が付けてくれたあだ名です。競輪選手になる前、小倉競輪場への練習にトレンチコートを着て行ったら警官に職務質問を受けたんです。その時警官の方も同じようなトレンチコートを着ていて……。その話を城戸崎さんにしたら「刑事(デカ)長じゃん!」と言われ、そのままあだ名になりました(笑)

「元競輪選手」でなければ……

Q:野口さんはいつ頃からパラサイクリングのコーチを?

野口:競輪選手引退後に福岡の高校生のコーチなどを何年かやって、指導者の資格は取得していました。そんな中、私の20年来の友人が、日本パラサイクリング強化指定のヘッドコーチに就任したんです。

彼に「手伝ってもらえないか」と誘われ、2022年シーズンの1年間、強化指定のコーチをさせていただきました。その際に「個人参加にはなるけれど、一緒に海外の大会に出場してみないか?」と田中くんに声を掛けました。もともと福岡の元競輪選手として交流がありましたからね。

Q:では、次に案浦さんが2023年大会に通訳として参加したきっかけを教えてください。

案浦:私はアメリカに住んでいて、田中くんの活動はSNS上でいつも拝見していました。そんな中、野口さんが強化指定のコーチに就任し「アラバマ(ハンツビル)で『UCIパラサイクリングワールドカップ』が開催されるから、その時に会えないか?」と連絡をいただきました。

自分はアメリカ現地でも車を持っていて小回りが効くので、「もし良ければ手伝いに行きますよ」と提案しました。それが始まりですね。

Q:競輪選手時代の交流があったからこそ、2023年の大会で3人が揃うことができたのでしょうか?

野口:3人ともが元競輪選手でなければ、田中くんがワールドカップに出場することはなかったかもしれません。従来のワールドカップは基本的にパラサイクリングの強化指定選手のみが出場する大会でしたが、私が田中くんに声を掛けて出場を目指すことになりました。

私が同じ元競輪選手であり、さらに2人の先輩ということもありますよね。案浦くんも無理を聞いて協力してくれた側面もあると思います(笑)

「色々なスポーツに挑戦できることを知ってほしい」

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