引退してから気づけたこと
現役を引退してから数えきれないほど人前で話す機会があったが、あくまで選手としての自分の延長線上でしか話していない。最初はそれでも問題なかったが、引退してから月日が経ち、自分がアスリートから遠ざかっていく日々を過ごしながら考えるようになった。
「自分が出来ていたことが出来ないと“何で出来ないの?”とか。自分目線で物事を考えてしまっていました。でも学問ってスポーツとは全く違って気合とかでなく、理解をすれば良いことじゃないですか。理解の仕方も人によって違うので。だから一歩引いた眼で物事を見なければいけないし、冷静に何かを学ぶということが自分にとって必要なのではないかと思いました。でもそれに気づけたのは引退してから時間が掛かりました。だから引退してからすぐ、周りが見えていない自分本位だった時にではなくて、時間を置いてから今回大学院に来れて良かったと思っています。」
引退してからどうするか?それはアスリートならば誰もが考えること。そしてアスリートとしての延長線上で人生を切り開いていく人もいれば、全く別の人生を歩いていく人もいる。
しかしアスリートの時に独自の道を切り開いてきた彼女は引退してから何も変わっていなかった。女性初の競輪学校教官、そして”修士号”。
ドンドンと、これが自分の信じる道だと突き進んでいく。目的は自分のお世話になったスポーツへ、何らかの形で還元すること。
「自分のやっていることで、最終的には日本の女性サイクリストが増えてくれれば良いと思っています。本当に自転車を始める人たち、既に行っている人たちに知っていて欲しいことを研究しました。股ズレがひどいから自転車に乗らなくなってしまって続かないという話はよく聞きます。例えば彼氏彼女で一緒に自転車に乗り始めたとしても、股ズレ問題があった時に彼氏に相談できないということはあると思いますし、そんなことで自転車に乗ることを諦めて欲しくないんです。あとは男性にも女性ならではの問題を少しでも理解というか認識してもらえたらと思っています。ちょっとだけ意識を変えて“もしかしたら?”って思ってくれるだけで良いと思っています」
まだまだメジャースポーツとは言い難い自転車競技。その裾野を少しでも開くべく、“裏方”の中の一人になった。でもこのアカデミックな自分はちょっと想像できなかった。
「自転車を始めたころは研究をするなんて思っていませんでしたよ。もう既に研究の反響もありますし(笑)でも大学院に入ってスポーツ界以外の人たちとの付き合いができたので、それは本当に良いことだと思います。」
これからはJKAの仕事で再び伊豆に戻りオリンピックに向けて様々な仕事をしていく予定という沖美穂さん。選手の次は「修士号」の肩書を持ち、まだまだこれからも彼女にしか解決できないであろう難題に挑んでいく。