2020東京オリンピックにウエイトリフティングで出場という実績を携え、日本競輪選手養成所の「特別選抜試験」に合格、129回生として入所する近内三孝。他競技からの転向組としてこの「特別選抜試験」に合格したのは、同じくオリンピアンであった原大智(117回生)以来、6年ぶりとなる。
ナショナルチームの松田祥位と兒島直樹、重量挙げ・近内三孝が日本競輪選手養成所に合格/第129回(男子) 特別選抜試験合格発表
昨年10月に出場した“最後の大会”で2つの日本記録を樹立するなど、超一流のウエイトリフターであった近内三孝が、なぜ競輪という道を志すこととなったのか。そして、養成所入りの準備を進めるなから直面している苦労とは。
本稿では、養成所に入る直前、4月中旬に実施したインタビューをお届けする。
バッキバキの写真とともにお楽しみいただきたい。
オリンピアンが競輪に挑戦するワケ
Q:まず、なぜ競輪選手を目指すことに決めたのでしょうか?
ウエイトリフティングは選手寿命が比較的短くて、多くの選手が30歳くらいに引退してしまいます。自分は先日29歳になった(1996年3月14日生まれ)のですが、まだまだ体を動かして挑戦したいという気持ちがあったなか、選手寿命も長く、30歳からの挑戦というのも決して遅すぎるというわけではない競輪の世界に魅力を感じ、挑戦を決めました。
それから、ウエイトリフティングに関しては基本的には“プロ”という概念がないので、やっぱりプロスポーツへの憧れみたいなものもありましたね。
Q:競輪選手への挑戦を決めた直接的なきっかけとしては、パリオリンピックの代表選考に落選したこと、となるのでしょうか?
いえ、じつは去年(2024年入所のタイミング)受験するつもりでした。ただ、入ってからのことを考えたら、しっかり準備の期間を取ったほうが良いと思ったので、師匠である坂井洋選手と相談して、今回の受験に至りました。
引退試合で日本記録を2つ樹立
Q:ウエイトリフターとして最後の大会となった昨年10月の国民スポーツ大会(国スポ)『SAGA2024』では、スナッチと、スナッチ/ジャークのトータルで日本記録を樹立。カッコ良すぎる幕引きとなりました。
2024年の4月にパリオリンピックに出られないことが決まり、ウエイトリフティングへのモチベーションが下がっていた部分もあったのですが、最後に頑張りたい、と決めて臨みました。
ありがたいことに「もったいない」という声もいただきましたが、「さらに上を目指す」というモチベーションにはならなかったのは事実です。パリオリンピック選考以前からそういう気持ちがあって、モヤモヤはしていました。
運動能力なら、誰にも負けないはず
Q:ウエイトリフティングの前には陸上をやられていたそうですね。
はい、1500mや5000mといった中距離種目がメインでした。正直、そこまで向いてなかったと思います(笑)。
Q:ウエイトリフティングをはじめたのは?
高校からです。自分は3月生まれなのですが、同学年の子と比べて体が小さいことがずっとコンプレックスでした。小学校でも、“背の順”で並ぶ時に一番前で腰に手をやっていて(笑)。運動能力はすごいはずだ、という自負はあったのですが、小学校や中学校ではなかなか他の子に勝てませんでした。
ウエイトリフティングは高校から始める人が多いのですが、ある程度体ができてきた時期に、かつほかの人と同じタイミングで始める競技ならば誰にも負けないはずだ、と思って始めました。
競輪と、ウエイトリフティングの類似性
Q:その言葉を証明するように、オリンピアンまで上り詰めることに。そもそも、ウエイトリフティングとは、どんな能力が求められる競技なのでしょうか?
「脚力」と「瞬発力」です。日本競輪選手養成所の適性試験科目には、垂直跳びと背筋が種目にありますが、ウエイトリフティングと近い能力を求められる、ということも競輪に興味を持ったひとつのきっかけでした。
バーベルを最後に上げきる時にジャンプするので、ウエイトリフターは垂直飛びが得意な選手が多い。日本大学時代から、坂井師匠*をはじめ、いろんな人に「自転車やりなよ」って声をかけられていました(笑)。
※坂井洋とは、日本大学の同期にあたる関係
Q:実際、Instagramに投稿されたポストは衝撃的でした。
ウエイトリフターのなかでも、垂直飛びに関しては自分は抜けているほうだとは思います(笑)。
この投稿をInstagramで見る