ポスターに登場する……これってどこ?

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この建物、モデルは……

「これは近江神宮です!」

突然の質問にも関わらず、岸和田競輪場の担当者は快活に答えてくれた。

「高松宮記念杯はもともとびわこ競輪場で開催されてました。そこは近江神宮様のすぐ近くで、近江神宮と高松宮様はご縁が深いということで、賜杯をいただいたんですね。びわこ競輪場は廃止となりましたが、今でも近江神宮様をモチーフとして使わせていただいています」

ポスター画像出典:高松宮記念杯競輪公式サイト

70年前から続く縁

高松宮宣仁親王と高松宮記念杯競輪の縁は、昭和25年(1950)まで遡る。

近江神宮が御鎮座となったのは昭和15年(1940)。それ以前に外苑運動場が開場し、陸上競技場、野球場などが作られていたが、戦中戦後の混乱の中で使われなくなっていた。戦後間もなく大津市、滋賀県の間で競輪事業を始めることとなり、昭和25年4月、近江神宮外苑に「大津びわこ競輪場」が開場した。

大津びわこ競輪場での最初の競輪開催は4月22日。それに先立つ4月2日に近江神宮の宮司と滋賀県の副知事が高松宮家に出向いたことが、神社の記録として残っている。

もともと高松宮宣仁親王は、近江神宮の奉賛会総裁を務めていた。この高松宮家訪問の際、高松宮杯の下賜が決定したか、と考えられる。

高松宮宣仁親王は美術工芸、スポーツなどさまざまな団体の総裁で、近江神宮奉賛会の総裁もそのひとつ。「高松宮」の名を冠した大会は複数の分野で存在しており、競輪、競馬のほか、競技かるたもそのひとつ。近江神宮は「競技かるたの聖地」としても知られる。

なお高松宮記念杯競輪について、近江神宮のサイトでは以下のような記述がされている。

「特に戦後、外苑敷地に県・市により競輪場が建設されたのは、終戦後の多難な状況にあった近江神宮への経済的援助の資とするためもあってのことでした。殿下は高松宮杯競輪に当っては毎年ご来臨になられ、その際はかならず近江神宮に参拝になる習いでした」

引用:近江神宮「皇室と近江神宮」
参考:第70回高松宮記念杯競輪特設サイト
宮内庁 旧高松宮家

時代や場所が変わっても、ルーツは息づいている

高松宮宣仁親王は1987年にご逝去。そしてびわこ競輪場も、2011年に廃止された。現在の高松宮記念杯は、岸和田を中心とした近畿地方の競輪場で持ち回りで開催となっている。

初開催から70年余りが過ぎ、さまざまなものが変わった現在でも、名前は残り、ルーツとなった近江神宮はモチーフとして息づき続けている。

高松宮記念杯競輪は2023年で第74回。伝統ある開催だが、6日制、ガールズG1開催と、装いも新たに行われる。新しい高松宮記念杯を今年も変わらずに応援していただきたい。

アジア選手権、マレーシアで開催!

なお同じ日程で、自転車トラック競技のアジア選手権もマレーシアで実施される。こちらも手に汗握る熱戦・メダルラッシュになること間違いなしなので、ぜひご注目を!

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※記事の作成にあたり近江神宮様に歴史面について問い合わせをし、ご回答いただきました