全てをかけて臨んだ東京オリンピック
幼少期から憧れていたオリンピック。オリンピックで活躍するために競輪選手となり、世界のケイリンで日本を代表するために、日本競輪界のトップ選手として走り続けてきた。自分自身に留まらず日本のケイリン、トラック競技を成長させようと自らチームも立ち上げた。
多くを背負い出場した念願の東京オリンピック。しかしスプリントでは予選敗退。ケイリンでは1回戦を1着でフィニッシュするも、準々決勝で惜しくも敗退。全身全霊をかけた大会だったが、それでもメダルには届かなかった。
世界との距離感を縮める、目標は変わらず
人生をかけたオリンピックも悔しい結果に終わった新田。大会後のインタビューでは、結果に関わらず「最後の大会にする」と決めていたことを明かした。
その後、明確な目標や活動については未発表のままナショナルチームを引退した新田だったが、2022年4月に発足したナショナルチームの新体制では、「ジュニア短距離アドバイザー」に就任。
「世界との距離感を縮める」という目標を、指導者として貫いていくことを発表した。
「競輪」×「育成」新たな二足の草鞋
ナショナルチーム引退後、ジュニア短距離アドバイザーに就任しつつも、競輪選手としてのキャリアを続行している新田。自身の練習の合間を縫って、ジュニアの育成にも励むという新たな二足の草鞋を履いた。
そんな新田の献身に応えるかのように、『2022ジュニア世界選手権トラック』では2人の短距離ジュニア選手がメダルを獲得。
日本チームがメダル3枚を獲得!世界で存在感を示した次世代選手たち/『UCI 2022ジュニア世界選手権トラック』イスラエル・テルアビブ
そんな姿に後押しされた新田は、4年間お預けとなっていた最後のG1タイトル「寬仁親王牌」を制し、ついにグランドスラムの偉業を達成。
優勝インタビューでは、「憧れられる競輪選手の1人であるために、結果を求めていかなきゃ」と、さらなる成長への意気込みを語った。
残すはKEIRINグランプリ?その行先は…
以上本記事では新田祐大が成し遂げた「グランドスラム」までの軌跡を振り返ってきた。デビュー当初からトラック競技との両立に奮闘し、自らチーム設立なども行ってきた。
東京オリンピックを走り終えナショナルチームから引退した後も、ジュニア世代の育成に取り組みつつグランドスラムを達成。常に「競輪×◯◯」という形を貫きながら、競輪界のトップ選手として活躍し続けてきた。
いまだ優勝していない「KEIRINグランプリ」での走りを含め、新田が歩んで行く「競輪選手」としての道と、「ジュニア育成」というもう1つの道。史上4人しかいないグランドスラム達成者として、どんな道の続きを見せてくれるのか。今後も注目していきたい。