レースレポート

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選手インタビュー

Q:G1優勝、そしてグランドスラム、おめでとうございます。

ありがとうございます。

Q:決勝レースはどのような作戦を考えていたのでしょうか。

理想は前の方に位置を取ることでしたが、なかなか難しかったです。でもそうなった場合の展開も考えていました。

Q:先頭誘導員の退避後、大阪ラインの後ろで3番手となりました。さらに他のライン、他のラインと出てきて、内に詰まる形に。この時はどのような心境でしたか?

最初に大阪ラインの後ろに入ってから、次々にラインが来るかなと思ったら、意外に誰も来なかったですね。車間を切ってタイミングをはかって……と思っていたところで、見えないところから吉田くんが来てしまいました。それが内に詰まってしまった原因です。

そこから1周ずっと内に詰まり続けて、残り半周、すごいことになっている中で、大地さんに接触も発生していました。大地さんは走る前からずっと自分のことを横に置いて「お前の好きなように走れ」「がんばれ、がんばれ」と言ってくれていました。レースでも信頼してついてくれていたと感じていたので、そのようなこともあって、イチかバチか踏み込みました。

Q:フィニッシュの瞬間はどう感じましたか?外では守澤選手が捲り上げていましたが。

守澤くんのかかりが良かったので「差されてしまったかな」と思っていました。同時に「やっぱりグランドスラムはそんなに簡単にはいかないな」とも。

Q:では決定放送で勝利がわかった?

フィニッシュ後1周走ってる時に「1着だ」と声がかかってはいたんですが、審議が入りましたので、去年のイメージもあって(昨年は2着入線だったものの失格になっている)……。「また来年か」とか「今年は難しい年なのかな」とか考えていました。

そんな感じで当事者というよりは第三者みたいな気持ちでいたので、決定放送が流れた時はお観客的な感覚で鳥肌が立ちました。

Q:2022年はS級1班、チャレンジャーとしての1年だと過去におっしゃっていました。5月には地元ダービーの前検日に怪我をしてしまうなど、厳しい部分もあった1年。そのような中で勝てたというのは、どうでしょうか?

1日1日、自分の中でのベストを出せるコンディション作りを心がけてきました。今回は北日本の新山響平や小原佑太のような若い後輩たち、同級生選手たち、もちろん他の先輩方にも気を使ってもらって、良いコンディションを作ってこれました。本当に集中できる環境で挑めて、これは自分一人で成し遂げたことではないと実感しています。

新山響平 成田和也 小原佑太 佐藤慎太郎 新田祐大, 表彰式, 寬仁親王牌, 前橋競輪場

感染拡大予防のため、エア胴上げ

またこの前橋競輪場は初めてG1決勝に乗った競輪場であり、その際は山崎芳仁さんが優勝しています。思い出の地での優勝は、感慨深いです。

Q:東京2020オリンピックまで競技者として活躍してきました。今はジュニアの育成に関わる立場(ジュニア育成アドバイザー)となりましたが、だからこそ競輪選手としてがんばるという意識も?

オリンピックがきっかけで、日本のトラックナショナルチームはとても良い環境となりました。国際大会でもメダルを量産する選手が増えましたし、日本は「メダルを獲る国」という位置付けになったと思います。そしてその成果によって、ジュニアの育成にも手を広げられるようになってきました。

ナショナルチームに関わってきてくださった関係者の皆様、スタッフの皆様に感謝しないといけないと思いますし、お世話になったお礼をしたい気持ちと合致したことが、ジュニアの育成に携わるきっかけとなりました。

今年の大会では、期待以上にジュニアの選手が良い結果を出してくれました。成長のスピードを目の当たりにしたことが、怪我をした自分にもとても励みになりましたし、「もっとがんばらなきゃ」という気持ちにもさせてもらいました。憧れられる競輪選手の1人であるために、結果を求めて行かなきゃとも実感しています。

Q:現時点で年末のKEIRINグランプリ2022に向けてのプランはありますか?

正直、グランプリに出られるとは思っていなかったので、12月に(5月の怪我の)手術をする予定でした。それを早めるか遅めるか、この後すぐにでも連絡して、スケジュールを組んでいこうと思います。

Q:改めて、今開催を終えての一言をお願いします。

「競輪ってなんだろう」って人も多いと思うんです。その中で「グランドスラム」と言われたら「なんかすごいことらしい」ってことは伝わると思うので、これをきっかけに競輪を知ってもらえたら嬉しいなと思います。僕を題材にして競輪を大きく広めてもらえたら嬉しいなと思います。

ナショナルチームメンバーのレース

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