2012年7月1日に平塚競輪場でスタートしたガールズケイリンが10周年を迎えたことを記念し、平塚競輪場で3日間女子選手だけの競輪開催「ALL GIRL’S 10th Anniversary」が実施。これに伴い、6月27日に都内で記者会見が行われた。

女子選手のみの開催「ALL GIRL’s 10th Anniversary」、歴代女王の頂上決戦「ティアラカップ」開催決定!ガールズケイリン10周年記念

記者会見にはガールズケイリン選手勢より小林莉子選手、石井寛子選手、佐藤水菜選手、そして元スピードスケート・ロードレース選手で現在はJKA職員となっている、沖美穂氏が参加。4人で「これまでのガールズケイリンの思い出を振り返る」対談が実施された。

この記事では3選手&沖氏の語る「ガールズケイリンの思い出」をレポートする。

「泣くなっ!」エキシビションレースの思い出

小林莉子:本日はお集まりいただきありがとうございます。102期・東京の小林莉子です。

石井寛子:こんにちは。104期・東京の石井寛子です。よろしくお願いします。

佐藤水菜:おはようございます。114期・神奈川の佐藤水菜です。よろしくお願いします。

沖美穂:おはようございます。JKAの沖と申します。私の簡単な経歴からお伝えさせていただきます。

もともとスピードスケートの選手でしたがロードレースの自転車競技選手として転向しまして、2008年に引退。2011年の5月からJKAとアドバイザー契約をさせていただきまして、その後日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)のアドバイザーになり、さらにその後2013年から4年ほど競輪学校の教官を務めさせていただきました。職員としてそのまま現在まで務めさせていただいております。

Q:ガールズケイリンスタートよりもさらに遡って、2008年から実はエキシビションレースが行われていました。石井選手は「向かうところ敵なし」という強さで活躍されていました。

石井:そうですね。貴重な体験をさせていただいたんですけど、たまに負けるんですね(笑)。そしたら、本当に悔しさを爆発させていた3年間だったなあと思います。

石井寛子

Q:それが今、力になっている部分もあるんでしょうか。

石井:そうですね。その時沖さんがいらっしゃったんですけど、言われた一言が「泣くなっ!」……そしたら涙止まりました(笑)

Q:石井選手はどのようなきっかけでエキシビションを走ることになったのでしょうか?

石井:高校から自転車を始めて、大学に入って自転車競技をやっていたんですけど、そこで「エキシビション始まるよ」って話をいただいたんです。「ぜひ出たい」とお返事しました。

Q:小林選手は当時高校生。ソフトボールをやっていらしたんですよね?

小林:はい。でも引退した段階でしたので、一緒に合宿みたいな、エキシビションを見学させていただくことがありました。その時走られていた方々を見て、オーラがすごいなと思いましたし、かっこいいなとも思いましたね。走りたいと感じました。

小林莉子

Q:佐藤選手にいたっては10歳の頃のお話になってしまいますが……

佐藤:はい、小学3年生でした(笑)父が、私が幼稚園のころから競輪場に行って趣味で自転車に乗っていたんです。だから小学校3年生の時は、実は競輪はとても良く知っていました。賭ける側として競輪を父親の横で見て応援して、週末は競輪場に行って、ピザとカレーパンを食べてました(笑)

Q:その頃、レースとレースの間に女性が走るエキシビションがありましたが、見た記憶は?

いえ、エキシビションレースは知りませんでした。「ガールズケイリン」を知ったのが106期の金田洋世さんに「ガーズルケイリンどう?」ってお声をかけていただいたのが最初でした。

佐藤水菜

Q:2008年は沖さんがロードレーサーを引退された時期でもあります。ちょうど同じタイミングで女子自転車の新しいレースが始まるというのは、どのように感じていましたか?

当時の私は選手を辞め、日本に帰ってきたばかりでした。ガールズケイリンの話を2010年ぐらいにお聞きして、裏側でお仕事されている皆様の情熱をものすごく感じられて、「これはいけるんじゃないかな、私もヨーロッパでやってきたことを少しでも皆様に伝えられればな」と考えましたので、すごく覚えています。

Q:自分が選手として、ということは考ませんでしたか?

引退は2008年でしたが、引退を決めたのは2004年だったんです。その時点から「引退後どうするか」の将来像を思い描いていたので、それを変更する、ということにはなりませんでした。

沖美穂

パイオニアである1期生たち

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