男子決勝(121回生)

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女子決勝(122回生)

女子は予選を2回実施し、その結果によるポイントの序列で決勝戦への進出が決まる。決勝出場は以下のメンバーとなった。

車番 選手名 府県 年齢
1 畠山ひすい 北海道 19
2 又多風緑 石川 19
3 渡邉栞奈 静岡 25
4 渡部遥 愛媛 19
5 池上あかり 福岡 22
6 浜地晴帆 三重 20
7 塩田日海 神奈川 23

先頭から浜地、渡部、畠山、又多、渡邉、池上、塩田の一列棒状で周回が進む。レースを動かしたのは畠山。残り1周半より先頭へと位置を上げ、それに又多が続く。

残り1周を切ると、先頭から畠山、又多、3番手の位置に浜地と渡部が続く並びに。渡部が外から捲ろうとするものの、捉えきれず。その後ろに陣取った渡邉がさらに外から捲りにかかる。

最後まで先頭を守り切った畠山が1着。予選から3連勝で完全優勝を決めた。2着は又多、3着は外から伸びた渡邉。

競走結果

車番 選手名
1 1 畠山ひすい
2 2 又多風緑
3 3 渡邉栞奈
4 6 浜地晴帆
5 4 渡部遥
6 5 池上あかり
7 7 塩田日海

選手インタビュー

優勝 畠山ひすい

先行で戦うことを最初から決めていました。完全優勝ができたことは、自分でもびっくりしています。養成所での自分の一番の目標が「脚をつけること」だったので、そのためにも先行にこだわっていた形です。

出身は埼玉。父に大宮競輪場に連れていってもらったことで、子どもの頃から「自分も走ってみたい」と思っていました。その後ガールズケイリンがスタートしましたが、当時はサッカーやバスケットボールをやっていたので、すぐに自転車競技、とはなりませんでした。

中学で山村留学制度があり、それを利用して北海道へ。そのまま北海道で高校進学しました。高校の時点で進路について大学進学と競輪選手と迷っていたのですが、2年の時に「若い時にできることは限られてるから」と競輪選手になることを決意。函館の競輪選手を育てるプロジェクト「ホワイトガールズプロジェクト」に参加し、自転車の練習を積みました。

強みはダッシュ力。長い距離をもがく時、最後にタレてしまうのが課題だと思っています。現在は冬季で函館競輪場が使えないので、実家のある関東、そして強いガールズ選手も多いということで川崎競輪場で練習させてもらっています。

2位 又多風緑(まただ・ふつか)

脚も全然動かないし、踏んでる感覚もない。在所1位のプレッシャーもありました。

予選1戦目では先行しても合わせきれなくて「これで決勝に上がれるのか」と不安になるくらい。予選の2回戦では自力を使わずに終わってしまって、過去で一番悪いレースと言えるほどでした。積極的なレースをしたかったんですが、全然できなくて……決勝でも畠山の後ろという良い位置を取れたけど、全然捲れずに2位。自分の持ち味が出せなかった3レースでした。

又多風緑, ガールズ決勝, 日本競輪選手養成所第121・122回生卒業記念レース

父の勧めで競輪選手を志し、そのために自転車競技を始めました。でも自転車競技ができる高校がなくて、部活としては陸上をやりながら自転車の練習をしていました。朝4時半に起きて部活に行って、放課後も部活。自転車の練習は限られた時間しかできませんでしたが、「競輪選手になりたい」という夢と「自転車で全国制覇したい」という目標のために頑張れました。

デビュー後の目標は、ルーキーシリーズでの完全優勝。卒業記念レースでこんなレースをしてしまったからこそ、自分の走りをしたいです。本デビューでは最初から先輩たちに向かって戦っていけるよう、そしてそこでも完全優勝できるよう頑張りたいです。

3位 渡邉栞奈(わたなべ・かんな)

追い込みで着に絡める3レースができたのは、とても嬉しかったです。卒業してからは父(渡邉晴智)とのマンツーマンで練習してきました。もともとダッシュ力がなかったので、瞬発力含めウェイトからすべて教わりました。

ガールズケイリンがスタートしたのは高校1年の時でしたが、当時はまったく興味がありませんでした。自分が「なりたい」と思うようになったのは弟(渡邉雅也)のデビューがきっかけ。テレビでレースを見て、感動しました。父には最初反対されたんですが、本気だということをタイムで示していくうちに、認めてもらえたのかなと思います。

ルーキーシリーズに向け、まずは決勝に乗ることが目標です。ゆくゆくはガールズグランプリに出場したいです。

しのぎを削りあった春の熱戦 男子準決勝3レース/日本競輪選手養成所第121・122回生卒業記念レース