賞金ランキング上位に入り「KEIRINグランプリ2021」への出場権を獲得した守澤太志選手。12月30日、約1億円の賞金と「王者」の名誉をかけて競い合う年内最後の大舞台を前に、競輪の道へ進んだきっかけをお話しいただいた。

守澤太志プロフィール

中学は野球/スキー、高校から自転車部へ入部。明治大学に進学し、自転車部では主将を担いインカレのロードレースで日本一にもなった実績を持つ。プロ競輪選手になってからはKEIRINグランプリ2020に出走し4位。2021年は2年連続2回目の出場となる。

大学自転車部から、唯一の競輪選手へ

Q:まずは“自転車小僧っぷり”を教えてください。中学までスキー、高校から自転車を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

野球部に所属しながら中学生まではスキーをやっていたのですが「スキーを続けてもこの先、金銭的にも成績的にもたかが知れてる」と思ったんです。別の事をやろうと思った時、家の近くに強い自転車部がありました。

やるからには成績を残した方が楽しいですし、スキーで足腰にも自信があったので「やってみようかな」と気軽に始めた感じです。

Q:最初はロードレースで結果を残していったと思うのですが、自転車=競輪のイメージはありましたか?

無かったです。高校で長距離、大学でも長距離。当時、競輪には全く興味が無かったですね。

Q:どういった経緯で競輪選手になったんでしょう。

大学(明治大学)に進学したのですが「これから自転車で食べて行こう」と思ったときに、ロードのプロツアーの道に進むのか、それよりも金銭面で上を目指せる競輪に行くかの二択になって競輪を選んだ感じです。

Q:明治大学自転車部で、競輪選手を選んだ人は当時少なかったですか?

大学でもロードや長距離をやっていて、そこから競輪選手になったのは自分だけだと思います。

Q:周りの友達などから「競輪行くの?」ってなりませんでした?

どうなんでしょう……。自分自身も「競輪をやろう」と思ったけれど、1回で学校に入れると思わなかったですし、ぼちぼちやって行こうかなという気持ちでしたね。

同期は深谷知広「何をしても勝てなかった」

1/3 Page