2度目となるはずだったオリンピック

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人生逆転、オリンピック効果

Q:ではロスでメダルを獲った時の話を聞かせて下さい。反響はどうだったのでしょうか?

行く時と帰ってくる時で人生が変わりました(笑)。

Q:それはどれくらい?

行く時のバスでは自転車競技の選手と、当時超人気の男子バレーボールの選手たちが一緒でした。当時のバレーの人気は凄かったですよ。バスの出発から到着までファンが囲んでくるような状態でした。

空港に着いたところで、バスの放送で「まずはバレーボールの選手からお降りください」というのでバレーボールの選手たちがもみくちゃにされながら出ていくわけです。その様子をバスの中から見ていたのですが、いざ自分たちの番になってバスを降りると・・・・・・誰もいないという(笑)

Q:残酷ですね(笑)

まあ、そういうものだなと思ってはいました(笑)

で、メダルを獲って帰国するじゃないですか?行く時は閑散としていたのに、帰国したら・・・よくテレビで観る風景です。フラッシュを浴びながら到着ゲートに出てくるやつです!

機内でもメダルを獲得した選手が呼ばれ、自分を含む選手たちが記者会見場に案内され、その後、1週間はテレビ出演だらけでした。毎日移動はタクシーではなく、ハイヤーが横付けになり、それに乗って各放送局に行くんです。

一番びっくりしたのは天皇陛下と直接話をさせていただいたことです。今でもあると思うのですが、天皇陛下からお言葉を直接いただくわけですね。

天皇陛下とご対面

Q:すごい逆転劇ですね!天皇陛下とお話する際は緊張しましたか?

2、3簡単な質問をされて終わるのですが・・・・それはもう緊張しました。

その時に話している様子を写真でいただいたのですが、今でも宝物としてとってあります。

Q:他の選手たちにもそのような体験をしてもらいたい。そのような想いはありますか?

やっぱり思いますよ。なかなか無い体験なので。

Q:坂本さんのメダル獲得後は競技人口が増えたと感じますか?

当時日大(日本大学)に居たのですが、あの頃、「アマチュアでは最新のレースをしている」と思って日大にきた人は多かったのではないでしょうか。小嶋敬二(バルセロナオリンピック出場)もそうですし。まだプロが出られない時代だったので「日大が競技を目指す者の行く場所」というのはあったのかもしれません。

当時は大学で必要な時に海外からコーチを呼んでトレーニングをしていた、といった背景もあります。

Q:坂本さんの時代は今のような科学的なトレーニングは無かったと思いますが、メダル獲得にいたったのは、そういった背景もあるんですね。

自分たちの練習と当時の海外勢の練習に、それほど違いはなかったと思います。ただ、昔は共産圏の情報が入ってこず、そして共産圏の選手たちがとても強かったということはあります。

一方でイギリス、フランス、オーストラリアなどは日本と比べても、さぼど変わらないかなと思っていました。当時は西ドイツで合宿してから世界選手権へといった流れでしたが、自分たちが自転車競技の後進国といったイメージは受けませんでしたね。

いつしか遅れていった日本

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