永井清史 インタビュー

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スイスでの修行の日々

永井清史 金子貴志 Track World Cup 2001. X26 August 2001: Kiyofumi Nagai and Takashi Kaneko of Japan in action during the Men Olympic Sprints finals held on the final day of the 2001Track World Cup Cycling Championships at the Rakyat Velodrome, Ipoh, Malaysia. DIGITAL IMAGE. Mandatory Credit: Stanley Chou/ALLSPORT

Track World Cup 2001

Q:WCC(=ワールドサイクリングセンター、スイス)に行って刺激的なことは何でしたか? ※高校卒業後スイスのワールドサイクリングセンターへ飛んだ※

まず、日本にない200mバンクで走れたことですかね。斜度は45度ぐらいあるのでゆっくり走っていたら転んでしまいます。最初は怖かったのですが、200mバンクのコーナーで掛かるGに耐えられるようになったら、250mバンクがとても楽に感じます(笑)

同期としては、後に北京オリンピックで2位になったロス・エドガー選手がいました。カタコトでしたが通じるものがありました。

Q:日本での生活との違いはありましたか?

食生活が違いましたね。昼はバンク内の食堂でしっかり食べていましたが、朝と夜はバイキング形式でパスタ・ポテト・パンなどの炭水化物ばかりでした。物足りなくて、日本からごはんとかレトルトカレーを送ってもらっていました。

Q:近くに売店はなかったのですか?

ないですね・・・標高1000mのところだったので、自転車かトロッコ列車で移動でした。食べ物も牛乳やチョコレートぐらいしか(笑)

※編集部注:WCCはスイスのエイグルにあり、周りが山に囲まれた・・・・・そう、アルプスの少女ハイジ的な場所に存在する※

一度は離れたナショナルチーム

Q:日本に帰国して競輪学校(現:日本競輪選手養成所)へ入学したとのことですが、スイス(WCC)と比べてどうでしたか?

スイスの方が自由で楽でしたね。食べ物はないけど(笑)日本は束縛が多かったです。

Q:アテネオリンピックには代表選手として選ばれませんでした。その時の心境は?

ショックでしたね。連盟の人が直接伝えに来てくれたのですが、タイムは出ていたので納得がいきませんでした。その時20歳だったから、信頼されていなかったのかな、とも思いました。

Q:永井さんにとってオリンピックとは?

WCCに留学して世界を体感したからこそ、世界のメンバーと走りたいという思いがありました。上には上がいるんで、外の世界を知りたいと思っていました。競輪よりも出たかったものです。

Q:2年ほどナショナルチームから離れた理由は? ※アテネ五輪後に一旦ナショナルチームを離脱した※

選考に不満があったのと、自転車競技を忘れたかったからですかね。でも2年経ったある日、当時の班目秀雄(福島・24期引退)監督から「もう1回やってみないか?」と声をかけて頂いたんです。それから熱が戻って来ました。2007年にはWCCの時にお世話になったフレデリック・マニェが日本の監督だったので、練習内容は合っていましたね。

北京、憧れのオリンピックの舞台へ

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