北京、憧れのオリンピックの舞台へ
Q:北京五輪、ケイリン種目で銅メダルを獲得しましたが、それまでの主戦場はスプリント、チームスプリントだったかと思います。しかしメダルを獲得したのはケイリン。どのような事情があったのでしょうか?
それまでチームスプリントで3走を任されていたり、スプリントで「徐々にスピードアップしての勝利」が多かったんです。マニェ監督は僕の脚質からして「ケイリンの方が向いてる」と思ったようです。それより前には、前橋競輪場で行われた全日本選手権と、タスマニアのトラックカーニバルくらいしかケイリンを走っていませんでした。
Q:北京オリンピックの1回戦は緊張しましたか?
伏見俊昭選手もいたので、まったく注目されなかったんですよね・・・寧ろ注目されていなかったので、緊張していませんでした。
Q:さすがに決勝は緊張しましたか?
当時、日本人として決勝までに残ったのは初めてだったようで、それだけで満足・・・というと語弊があるんですが、国際大会でケイリンに出たことがなかったですし、自然な感じで臨めました。
Q:決勝戦のフィニッシュ直前、WCC時代の同期のロス・エドガー選手の姿は見えましたか?(優勝はクリス・ホイ、2位にロス・エドガー、3位に永井選手)。ロス・エドガーには最終ストレートでかわされた)
いや、無我夢中だったので誰だかわからなかったですね(笑)クリス・ホイ選手しか見えてなかったです。
Q:フィニッシュラインを3番目に通過した時の心境は?
あれは、出し切りましたからね。アテネに落選して北京に出られたということもあり、銅メダル獲得は嬉しかったです。
その場では実感がなかったのですが、空港戻ってから取材を受けたりして、ようやくメダルを獲ったんだと実感しました。加藤慎平さん(岐阜・81期引退)や岐阜競輪場の練習仲間も来てくれていました。
Q:帰国後、オリンピック関係のインタビューはほぼ受けていましたか?
いえ、ゆっくりしたかったので取材は全部は受けてはいないです。山梨県へ旅行してゆっくりしていました(笑)自転車も持って行かず休暇を過ごしていました。
Q:永井さんがメダルを獲って、競輪関係も含め変化はありましたか?
テレビの出演依頼は沢山来ました。地元の小学校に行ってインタビュー等もあり、嬉しかったです。とはいえ、競輪は賭け事の世界だから人の流れは変わりませんでした。でも「オリンピックにケイリンがあるんだ」とは伝えられたのではないでしょうか。
Q:今の競輪界は永井さんから見てどうですか?
トップスピードが高くなっていると思います。若手がレベルアップしている感じですね。良い変化だと思います。競輪学校(現:競輪選手養成所)のバンクも競技で使われる250バンクが主流になって、競技に近くなっていると思います。
メダリストが語る東京オリンピック
Q:永井さんはロンドンオリンピックには出場されていませんが、目指してはいらっしゃったんですよね?2009年まではナショナルチームに在籍しています。
はい、目指してはいました。ただ当時の練習が変わったので離れました。
Q:では、ブノワ・ベトゥ監督を中心とした、今のナショナルチームの練習や設備をどう見ていますか?
当時は競輪学校の屋外バンクしかなかったので、JKA250バンクや伊豆ベロドロームの設備など、バンクがしっかりしているのを見ると羨ましいです。当時はマニェからメニューが送られてきて近くの競輪場でこなす、という形が多かったですから。
Q:ナショナルチームで気になる選手はいますか?
新田祐大選手と脇本雄太選手が気になりますね。僕は「自分でレースを作ろう」という気持ちでいたので、どちらかというとワッキー(脇本選手)の方が先行力があるから競技に向いてるのかな・・・と思いますね。
Q:東京オリンピック出る選手に向けて、コメントをお願いします。
4年に1度しかない大会だからこそ、その場で出し切ってほしいです。自分も北京オリンピックで出し切りましたが、4位だったら後悔していたかもしれないです。