軽音楽部だった高校時代

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Q:軽音楽部ではどのような曲を?

YUIとか、大原櫻子ちゃんとか、ORANGE RANGEの曲とかやってました。でも1年しかやらなかったんです。ちょっとバンドに対する気持ちが下がっていたタイミングがあって、そこで「でも自転車があるし!」と自転車にのめり込んでいった感じです。

飽き性なとこもあるんですよね(笑)言ってしまえば自転車に逃げたわけですが、そこで改めて自転車の魅力にハマりました。

Q:今でも音楽はよく聴きますか?

そうですね、今でも好きです。だいたいいつも聴いています。テレビを見るよりは音楽を聴くタイプです。今日は・・・”もさを。”とか、”あいみょん”とかを聴いていました。

部にこそ入れなかったけれど・・・

Q:自転車競技部に入らないで国体に出場してらっしゃいますよね。部に入ってない時点で、そういう「出場のしかた」などの情報を得るのも難しかったんじゃないかと思うんですが。

練習仲間がいたので、そのおかげで大会情報を知ることができました。国体は誰でも参加できる県内の選考会があるんですが、そこで選んでもらって出場しました。

Q:練習仲間というと、先ほどおっしゃっていたお父さまの練習コミュニティでしょうか?

はい。父のチームメイトや、バンクの走行会のメンバーで、みんなおじちゃん、おじいちゃんくらいの年代の方々でしたね。

Q:同年代や年下の方はいなかった?

私と同じように親に連れられてきた子もいたんですが、長くはいませんでした。高校に入ると自転車競技部の子が練習に来るので、そこでやっと同年代が出てきた感じです。

Q:世代の違う中に混じって、それでも「楽しい」と思えるのって、なかなかすごいことだと思います。

幼稚園の頃、自転車に興味がない頃からずっと毎週通っていたので、当たり前にそこに馴染んでいましたね。私にとっては「遊んでくれるおじさんたち」でした。本当にたくさん遊んでもらいましたし、とても可愛がってもらいました。

佐藤水菜 KEIRINグランプリ2019 ガールズグランプリ 前検日

あと・・・競輪場に行くとお金がもらえたんですよね(笑)お父さんが競輪で賭けて、買った分のお札はお父さん、小銭は私の配当だったんです。それもあります(笑)

美味しいご飯が食べられるし、みんながお菓子くれるし、遊んでくれるし、お金ももらえるし・・・最初から自転車が大好きだったわけじゃないけど、私にとって「楽しい、好きな場所」が競輪場でした。

Q:部にこそ入れなかったけど、すごく恵まれた環境ですよね。

そうですね。周りの方・・・練習仲間がいたからこそ今の私があると思います。ヨイショもしてくれるし、アドバイスもたくさんしてくれました。

Q:ロードにもよく乗られてたとお聞きしました。

「美味しいものを食べに行きたい!」みたいな動機で長距離を走っていました。でも元々は、親に「ピストバイクに乗りたくない!」と言ったら「高いシューズ買ったんだから自転車やめるなんて言うな!」と(笑)。「じゃあロードに乗る!」ってなったのが発端です。でも結局、日曜は父についていってバンクも走っていました。そこでみんながヨイショしてくれるから楽しくなっちゃいましたね。「またタイム出た!楽しい!」って感じです。

バンクで走るのが月2回くらいで、普段はロードに乗っていました。そういった生活をしている中で「大学進学は難しそうだし、就職・・・う〜ん・・・じゃあ競輪選手になろうかな」と気持ちが競輪に向いていきました。

2020年夏、ナショナルチームへ

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