ようやくスタートに立った、ここからが勝負
Q:そのHPCJCですが、ジェイソンコーチから見るとまだ改善点はありますか?
HPCJCは効率的で質の高いトレーニングセンターになってきていると思います。ですが、まだまだ改善の余地はあります。
これは昔話ですが、私がコーチに就任した時はブノワコーチと私だけでした。当初のジムは、お世辞にも素晴らしいとは言えないレッグプレスが1つあるだけでした。それから、現在は4つに増えています。ジムに関していえば、やっとやりたいことが出来るだけの機材が揃ったところです。我々、特にブノワコーチが頑張っていましたが、「これが必要だ」と訴え続けてきました。周囲がサポートをしてくれたからこそ今がありますが、まだトップの国には追い付いていない状況です。とは言え良い状態になってきたと思います。
Q:「トップの国には追い付いていない」とは具体的にどういった部分で?
例としては風洞実験ですね。自転車競技は風の抵抗を少なくすることで大きな違いが生まれます。我々が風洞実験を行う場合、イギリスまで行かなければなりません。似たようなシステムの構築を行ってはいますが、決定的に重要なデータが必要な場合は、風洞実験から得られるデータ以上の物はありません。
イギリスはそれを国内で行えますし、オーストラリアも国内の大学で行うことができます。そしてそれらの結果を基にフォームやウェアの改善が出来るので、自転車競技のトップになるにはそのようなものが必要だと思います。
感激した日本チームの素晴らしさ、それ故の強み
Q:逆に各国の先をゆく部分はありますか?
もちろんあります。我々が最も幸運なことは、ここに住んでくれるHPCJCのスタッフの質の高さと、そのスタッフのチームへの貢献度、そして何より気持ちの共有。これは私が来日して得た、一番大きな物だと思います。
選手が得る結果の一部は、周りにいるスタッフによって作り出されます。そしてその結果が良いにせよ悪いにせよ、選手と感情を共有し、選手と同じようにスタッフも戦うのが「良いチーム」です。
言葉では簡単ですが、実際に感情を共有するのは難しいことです。自分の選手時代を含め、これまで他のチームでこのような一体感は・・・少数のスタッフに見ることはあっても、チーム内全てのスタッフに見るなんてことはありませんでした。
ところが日本チームのスタッフは、誰もが選手と感情を共有しています。「選手と一緒に戦っている」とでも言いましょうか。
Q:それを最も強く感じた瞬間はいつでしょうか?
ワールドカップでメダルを獲得し始めた時です。目標はもっと高い位置にありましたが、それでも結果は結果です。いつも近くで頑張っているアスリートが喜んでいる横で、自分の事のように一緒に喜ぶことが出来るスタッフを見た時「なんて素晴らしいチームなんだ」と思いました。そしてこれは悪い結果が出た時にも同じように感じました。
全員にとってひとつひとつのレースが大事なのです。チームとしてこれはとても重要で、ひとつひとつのレースにコミットすることでチームとして新たなレベルへと到達することができます。これはアスリートにとって大事なことでもあります。「スタッフの一人一人が全力を尽くし、そのお陰で今の自分がある」と認識することで、新たな力が生まれてくるのです。この関係は日本ならではだと思いますし、それが我々の強みのひとつなのだと思います。
ここまでの道のり、そしてこれから
Q:ここまでの道のりを総括すると?
HPCJCは世界でも有数のトレーニングセンターとなってきていると言えます。まだまだやることはたくさんありますが、2016年に我々が日本に来た時から比べると、大きな進歩を遂げました。正直、初めて来た時には「長い道のりになる」と感じていました。
ブノワコーチと私の体制になって、最初の世界選手権は2017年の香港でした。我々の間では今でも話題になりますが、散々な結果でした。女子を連れていくことはなく、男子はスプリントで予選敗退、ケイリンでも準決勝に上がれませんでした。唯一の成績と呼べるのはチームスプリントで7位でした。会場をあとにする際には「やばいぞ」と2人で感じていたことを覚えています。
ただ、同時に世界での我々の立ち位置を確認出来た大会でもありました。あの時に自分たちの考え方も厳しい方向へ変わりましたし、サポート体制も変わっていきました。ブリヂストンが自転車の開発に乗り出し、デサントは空気抵抗が少ないウェアの開発なども始めてくれ、少しずつ動き出しました。2017年の世界選手権の結果が警鐘となり、自分たちも、サポートチームも動き出していったのです。そして今に至ります。
今では「日本の選手は強いから気をつけろ」と注目を浴びる程になっています。これは一重に、自分たちが信じた道を走ってきたことが結果に結びついたからです。我々が来て、HPCJCが出来てサポートチームが揃い、機材が揃い、選手たちが結果を出し、自信が生まれてきました。そして世界に追いつくことも出来ました。ここからは世界をどう引き離すのか、その段階に来ていると思います。
そしてHPCJCは、我々に足りない知識を与えてくれる側面もあります。ブノワコーチと私にとって、ウェアや機材の空気抵抗は専門外です。それらの専門性を駆使して開発にあたってくれたことにより、もともと良かった機材が更に良い物となりました。
Q:ここまでブノワコーチとチームを一から作り上げたと言っても過言ではありませんが、来日当初、ここまでの組織が出来上がると信じていましたか?
日本に来た時から、周りの皆さんが大きなサポートをしてくれることは理解していました。周りが情熱を持ってチームを良くしたいと思っていたからこそ、自分たちも頑張れたと思います。ですから早い、遅いはあるにせよ必要な物は揃うと理解していましたし、今の状況になることを疑ったことはありません。
2017年の結果は酷い成績でしたが、2018年には大きな進歩を遂げられることは分かっていましたし、そもそも結果を出すには時間が掛かるとも思っていました。あとはブノワコーチ、私を始め、選手たちが負けず嫌いだったことも飛躍の要因です。このチームは全員がファイターです。
Q:最終的な目標は?
我々が日本からレベルの高いトラック短距離選手をどんどんと輩出していくことです。今は少しずつですが、形や変化が見えてきた段階です。JIK(日本競輪選手養成所)を始め競輪場で我々の選手たちに会う競輪選手たちなどに、変化が見えてきています。結果として日本国内での競輪競走のレベルが上がり、そして観るためのレースとしてよりエキサイティングな“競輪”になってきたと思います。ナショナルチームでなくてもハイレベルな選手たちが出てきていますよね。
我々が行うことが波及して、更にこのような流れが強くなり、トラック競技で日本が世界を席巻出来るようにしていきたいです。