専属スタッフだからこその「気づき」

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競輪選手からのオファーがきっかけ

Q:そもそもですが、お2人はどういった経緯でチームに関わるようになったんでしょうか?

中山:学生時代は卓球をやっていたのですが、その頃から「スポーツに関わるボディケアの仕事をしたい」と思っていました。京都で資格(鍼灸師、柔道整復師)を取ってから上京して治療院で7年ほど働いていたのですが、治療にいらした競輪選手の方から「競輪場のケアに入らないか」というお誘いがありました。

それがきっかけで自転車競技に詳しいボディーケア先生に話を聞きに行ったところ、ナショナルチームの合宿や遠征にマッサーとして関わる機会をいただきました。まだHPCJCも設立されておらず、ナショナルチームのトレーニング方法や施設が今の形になる前の頃の話ですね。

その縁が基となり、2013年頃からナショナルチームに専属マッサーとして入ることになりました。

Q:治療院時代は、どのような方の治療をしていたんですか?

中山:学生さんが多かったですね。陸上や野球、柔道をしている学生さんがほとんどで、プロの方は競輪選手だけでした。最初から自転車のプロ専門のマッサーだったわけではありません。

一般病院でアスリートのリハビリを担当

Q:では続きまして井上さん、お願いします。

井上:僕は小学校から高校までサッカーをしていたのですが、その過程で「選手の体のケアやサポートをしたい」と思い始め、高校卒業後は理学療法学科のある大学に進学しました。4年間で理学療法士の資格を取って、大学院に通いながら介護老人保健施設や大学病院、一般病院で働きました。働いていた一般病院は、ひざや足の関節を手術したバレリーナとか、オリンピックアスリートがリハビリに来られるような病院でした。

大学院で修士課程を取り終え、博士課程の研究と病院での臨床を同時並行で行なっていたのですが、そんな時にドクターから「自転車トラック競技の新たなトレーニング施設(今のHPCJC)で理学療法士を募集しているぞ」というお話をいただきました。そこで応募し、採用していただいて、チームに入ったという形です。

Q:その有名アスリートが来ていた病院というのは・・・

井上:奈良の病院(阪奈中央病院)です。スーパードクターがいて、その方は東京でも手術を行うのですが、遠方からでも治療にいらっしゃる方が数多くいました。自分も「すごいスポーツドクターがいる」という評判を聞いて、その先生にスポーツリハビリの病院を紹介してもらい、働き始めました。熊井先生という方です。

Q:あれ?聞いたことある気がする・・・その方、ナショナルチームにいませんでした?

井上:熊井司先生は非常勤のドクターとしてナショナルチームに関わっています。世界選手権やアジア大会にいらしてました。

Q:なるほど!では、熊井先生が心の師であると・・・

井上:そうですね。早稲田大学の教授もされていて、今は自転車全種目の医療を統括している僕が尊敬する先生です。

人員や設備、機材の充実

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