後編「負けず嫌いとユルさのバランス感」日本ナショナルチーム短距離アシスタントコーチ、ジェイソン・ニブレット氏インタビュー

Jason Niblett

前編ではジェイソン氏の生活環境を中心に訊ねたが、後編では、より自転車競技との関わりについてフォーカスし、彼の日本チームの導き方へ対するヒントを探ろう。

前編「可能な限り選手と共にいたい」日本ナショナルチーム短距離アシスタントコーチ、ジェイソン・ニブレット氏インタビュー

様々なスポーツに挑戦した幼少期

Jason Niblett

トラック競技との出会いについて教えてください

最初にトラック競技を始めたのは7歳です。

それまではBMXをやっていました。小さな町だったので、近くにあったBMXの競技場が経営不振で無くなってしまったんですよ。それで乗る場所がなくなってしまったので、母親に「自転車に乗りたーーーーーーーーーい!」っていつも言ってたら、近くにあったベロドロームに連れていってくれました。その時が始まりです。

ただ、初めて乗った時にいきなり落車してしまいました。トラック競技のピストはペダルが後ろに空回りしないじゃないですか?(※トラックレーサー及びピストバイクと呼ばれるトラック競技用の自転車はペダルが空回りしない。後ろに回そうとするとブレーキになる。)

初めて乗った時はそれを知らなくて、ペダルを踏むのを止めてしまったんです。足が勝手に動くので、流れに任せていれば良いのに止まろうとして、ガシャンと。これが7歳の時です。

12~13歳の頃までは自転車だけでなくサッカーとか体操とか他のスポーツもやっていました。しかし週末毎に遠征があり、金銭的、時間的にも厳しくなったので14歳で自転車に集中することにしました。

なぜ自転車を選んだのですか?

国内のジュニア選手権で優勝したんですよ。元々自転車が好きということもあったのですが、勝てるようになるともっと楽しいじゃないですか?だから自転車だったんです。

ジュニアで勝っていなければ、日本に来てコーチになることもなかったわけですから、この競技に感謝しています。

競輪時代に印象深いのは、震災

Jason Niblett

日本には馴染みというか、何か特別な思いはありますか?

日本の競輪で走らせてもらって、今回はナショナルチームのコーチをする機会も与えてもらってるじゃないですか?本当に良い意味で、とても特別な感情を持っていますよ。

日本の競輪で走っていた頃のエピソードは?

本当は2010年から2年間来る予定だったんですが、2011年の震災で来れなくなりました。なので1年というか1シーズンだけですね。一番印象に残っているのは申し訳ないですが震災です。

引退後もタンデムパイロットを続けた事が活きる

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いつから指導者の道を歩み始めたのですか?

トラック競技の選手は2012年に引退しました。

しかしコモンウェルスゲームズで(パラサイクリングの)タンデムのパイロット(※2人乗りの自転車。パイロットは視覚障害を持っている選手の目の役となる。)務めました。誰かのために自分の知識や力が使えるとわかった良い機会でしたね。

選手を引退し、指導者の道に入りながらタンデムパイロットを続けていました。今となってはコーチとしてのキャリアを築く上で、必要なことだったと思っています。その経験があるから、リオのパラリンピックではオーストラリアチームのコーチとして挑戦できましたね。

リオパラではロードレースのタイムトライアルで銅メダルを取りましたよ!でもコーチとしてのキャリアはまだ4年間くらいしかないので勉強中です。

Jason Niblett

コーチングは学校などに通われたのでしょうか?

オーストラリアのコーチングの学校へ通いました。2年間のコーチングリーダーコースがあり、世界各国からスポーツの種目を問わず一流のコーチやリーダーが集まります。運よく私はそこで学ぶことが出来たんですよ。これは私にとって大きな財産となりました。他にもカヌー、カヤック、馬術などさまざまな競技の人たちがいて、そこで繋がりが出来たのも良かったです。

負けず嫌いとユルさのバランス感

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