2018年に開催されたアジア選手権やアジア大会で、チームパシュートの一員として日本ナショナルチームのメダル獲得や大きな躍進の原動力となった一丸尚伍

彼はどんなきっかけで自転車競技を始め、そして日本を代表する選手となっていったのか。その過程には驚くべき経験があった。

一丸尚伍選手のプロフィール

一丸尚伍

一丸尚伍

1992年1月4日生まれ、福岡県出身。2018年アジア選手権で男子チームパシュートメンバーとして金メダルとアジア記録を樹立。アジア大会男子チームパシュートで銅メダルを獲得した。『TEAM BRIDGESTONE Cycling』所属。

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祖父と一緒に乗り始めた自転車

Q:まず、自転車競技を始めたきっかけを教えてください

おじいちゃんがトラック競技をやってたんです。母方の祖父なんですけど、母が3姉妹なんですよ。だから、誰も自転車競技をしなかった。それで、孫で一番最初に生まれたのが僕だったんで、とばっちりじゃないんですけど、じいちゃんが「尚伍いくぞ」っていってやらされた?誘われた感じです(笑)。

僕が小学生の時に交通事故に遭って、それで脚の骨を折っちゃったんですけど、そのリハビリのためにという口実を作られて・・・・・おじいちゃんは自分の趣味に引き込みたかったんでしょう(笑)

最初は家にあった普通のホームセンターとかでも売ってるような、子供用のマウンテンバイクみたいな自転車で。それで「ちょっと長い距離行こうか」みたいな感じで言われて、付いて行ったんだと思うんですけど。あんまりしっかりとは覚えてないですね。でも、当時は別にそこまで自転車が好きではなかったです。

Q:なんで好きじゃなかったのですか?

じいちゃんと走るだけだから楽しくなくって(笑)。あと、トレーニングもさせられてたんですよ。家の近くに山があって、そこへ行って、登って、帰って来て、それで1時間くらい。冬は乗ってなかったけど、夏は家から3kmくらいのところに住んでたじいちゃんが来て、一緒に行って。練習が終わったあとにジュースを買ってくれるんで、それ目当てでやっていました(笑)

Q:ジュース目当て(笑)じゃあジュースの価値がどんどん低くなる思春期くらいの頃にはおじいさんとは乗らなかったのですか?

小学校6年生くらいの時には、もう多分じいちゃんより速かったから、僕から「もうじいちゃんと練習しない」って言ったんです。そのときじいちゃんは怒ったりしなかったんですけど、後々になって聞いたら、ちょっと悲しいけどやっぱ嬉しかったとは言ってました。でも、じいちゃんがやってなかったら、誘われてなかったら自転車競技を行っていなかったと思います。

Q:他に何かスポーツはしていたんですか?

小学校1年から水泳をやってて、結果的に9年間続けてました。週1回のクラスだったんですけど、5年生から選手コースに入って、確か6年生からもう毎日泳いで。水泳の選手コースに入って水泳の方が楽しかったので、週7回?多いときは9回くらい?練習があって、そこのキャプテンでした。

Q:キャプテンということは、水泳もかなり速かった?

他に速い人はいたんですけど、気質というか。高校で自転車部だったときもキャプテンだったので。あと小学5年生から中学3年生まではトライアスロンも。その影響で中学のときに陸上で駅伝もやってました。

Q:トライアスロンはなぜ始めたの?

水泳のコーチが元々トライアスロンで有名な人で、それで「宮崎で大会があるから出て見ないか」って言われて、初めての大会に出ました。そっから、「面白い!」と思って結構トライアスロンをするようになって。

それで、トライアスロンのランをなんとかしたいと思って陸上部に入ったんです。けど、苦手なままだったからスイムとバイクで逃げて、ランで追い抜かれない様にしていました。

でも、そのトライアスロンって自転車は繋ぎだからスイムとランが速くないと勝てないっていうのが分かって。

トライアスロンの北九州でも結構有名なチームがあったんで、「地元の高校に行ってうちのチームでやらないか?」とも言ってもらえたんですけど、なんかランはやりたくないと思って。

中学2年か・・・3年かな?鹿児島の指宿で大会があって、それを最後にトライアスロンはやめました。

Q:中学生の頃はトライアスロンがメインだった?

自転車の大会にも出てました。じいちゃんや親が自転車の大会を見つけてきてくれて、地元の近くでやっている大会に出てたんです。

大分は自転車好きの人たちが多くて、バンクを使ったチャレンジザバンクっていうような、色々な種目のあるレースがあって、そこにはジュニアクラスもあったから。そういうのも見つけて出たりとかして。あと、シマノ鈴鹿ロードにも毎年出ていました。

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