オールスター競輪で優勝し、KEIRINグランプリ2023の出場権を手にした眞杉匠。たった9つしかない椅子を手に入れた24歳は「実力的にはまだ早かった」と自身を語る。
今回は眞杉匠に、自転車部に入ったきっかけからトレーニング方法、グランプリに向けた思いまで幅広くインタビュー。新進気鋭の「先行屋」のパーソナルに迫る。
名門・作新自転車部出身 入部の決め手は「なんだこいつ」
Q:ずっと宇都宮なイメージがありますが、生まれも育ちも宇都宮ですか?
父が日光、母が真岡の出身なので、生まれたのは真岡でした。幼稚園くらいの時は日光にいて、あとはずっと宇都宮です。地元を離れたのは競輪学校(現:競輪選手養成所)の時くらい。地元を出たことがないので、愛着が強いかどうかも自分ではよくわからないですね。
Q:プロフィールには過去のスポーツ歴として野球・ソフトテニスとありますが、当時はどのような選手でしたか?
それが、あまりちゃんと活動してなかったんですよね。野球は途中から部活に入って大会に出てない上、6年生になったら辞めちゃったし、テニスはテニスで朝練にも出なかったし……
その一方で自転車は楽しくて、ちゃんと参加していました。
Q:お父様が競輪好きで、その勧めもあったとか?
そうです。でも他の部活も見学に行きましたよ。
高1の春、ボクシング部に体験入部したんです。グローブはめてサンドバッグをパンチして……手首が折れるかと思いました(笑)
当時、僕は46kgしかなかったんですよね。「これは違うなあ」と思って入るのはやめました。
テニスも、経験があったし見には行きました。でも熱中していたわけでもないから入るまでは行かなくて、最終的に自転車部を見に行ったんです。
栃木県内で自転車部があるのは(自分の入った作新学院を含め)2〜3校くらい。「自転車をやりたい人は作新」って感じで、自転車部に入るために作新に来た1年生が多いので、やっぱり最初は厳しいんです。自分は5月末の、体験入部が終わったくらいの時期に行ったんですが……
Q:えっ?遅すぎません?
そうです(笑)
だからすでに入っている1年生に「なに今更来てんの?」って目で見られたんです。でもそこで「なんだぁ?やっつけてやる」って気持ちになって、入ることにしました。
そりゃあ、自転車部に入るために作新に来た人ですから、そういう感じにもなりますよね。でもその時「なに今更」って顔で見てきた奴とは、今も仲が良いです(笑)
Q:ちなみにその方は、今はどのような活動を?
その人は大学卒業後に競輪選手を目指したんですが、ダメでした。でも自分はその人のおかげで選手になれましたね。
ギリギリの成績で競輪学校へ
Q:「競輪選手」が昔からの夢だった、というわけではないですよね。
そうですね。でも親が好きだったので「これ観てみろ、面白いから!」とレースを観させられたことはありました。「小さい時から観ている」というポテンシャルはあったと思いますが、選手名を知ってるとかでもなく……
唯一、神山雄一郎さんは知っていました。「すごい人が栃木にいるんだぞ」と言われていましたね。
Q:競輪選手になることに決めたのはどのタイミングだったのでしょう?
高校卒業後、最初は進学を考えていました。鹿屋体育大学はスポンサーがいっぱいついててカッコいいし、そこが志望校でしたね。
でも国体で大学生たちに話を聞くと、ほとんど自主練という話や、朝4時や5時に起きて朝練という話を聞いて……「これ無理だな」と思って、競輪学校を受験しました。
Q:競輪学校には一発合格ですよね。
はい。でもギリギリの成績で合格しました。1kmTTが1分10秒3か4くらい、ハロン(200mFTT)が11秒8。「よく受かったな」って感じです。
アマチュアの時や競輪学校に行っている時も、競輪選手のことはあまり知りませんでした。でも今は「知ってる人が出ている」状態だから、面白いです。
Q:競輪選手は「スポーツ選手」だと思いますか?というのも、意識の高さやストイックさにおいてスポーツ選手と呼んで遜色ない方は大勢いるものの、いざ当人にそう呼ぶと違和感を抱く方が多いのでお聞きしました。
考えたことなかったなあ……スポーツ選手で良いんじゃないでしょうか。
本当のことを言うと、「部活の延長戦」のような感覚も強いんです。高校の頃から競輪場で練習していたし、それは今も同じですから。楽しくやっています。
落車が嫌だから先行になった
Q:デビュー直後は苦労もされましたよね。「落車が嫌だから先行になった」という話も伺いました。
デビュー半年で3回落ちましたからね。「この勢いで行ったら死ぬわ」と思いました。
Q:S(誘導員の後ろ)を取りに行く、前に行ったら退かない、というイメージがあります。
最初の頃は前を取って引いて捲り、という戦法を取っていました。勝てるし楽ではあるのですが、落車もすごく多かったです。だから今は前を取って引かないようにしています。
Q:一番前を走る景色ってどうですか?気持ち良さはありますか?
気持ち良いと言うより……先頭にいれば転ばないですからね(笑)とはいえ番手に入って競ったりすることも苦手ではないです。単に転ぶのが嫌なだけという。
Q:でも、そのほうが競技者として長続きしそうですよね。
そうですね。怪我して調子悪くなって、ということを考えると、先行して9着の方がまだ良いかなと思います。
Q:ここ2、3年ですごく強くなった印象ですが、何か変化があったんでしょうか?
何を変えたわけでもないんです。S級に特進して、最初の頃は9-9-9(3レース連続最下位)の成績もありました。その時に神山拓弥さんに「A級と同じように走れよ」と言われたんです。
S級に上がると、みんな「知っている名前」というか、強い人ばかり。だから先頭に出たら「もう来るんじゃないか」とずっと焦っている、ずっと踏んでいる感じでした。それをいなして、落ち着いて走れるようになったのだと思います。
焦っていたことを、自分でも分かってはいたんです。ちょっとずつリラックスしながら走れるようになって、力の抜きどころがわかるようになってきたんだと思います。
焦って成績が良かったことはないな、と思いました。「もう来るもう来る、行かなきゃ行かなきゃ!」で優勝したことはないですからね(笑)
「ラインがナンバーワン」初のG1獲得
Q:そして2023年、初のG1タイトルを獲得します。オールスター決勝で吉田拓矢選手が出ていった時、「もう!?」という気持ちになりませんでしたか?
残り2周で突っ張った時の(吉田)拓矢さんはとても強く、すぐには仕掛けて来れないくらいのかかりでした(※スピードが大きく上がっている状態)。ジャンで「もう(後ろは)来れないだろ」と感じていたので「ここから抜かれることはないかな」と思っていました。
Q:その時、体力&脚力はどうでした?
脚的には厳しいとまでではいきませんでした。でも展開が理想通りすぎて、それで気持ちがいっぱいいっぱいなとこはあったかもしれません。
Q:あまりにも描いていた通りになると、逆に焦るみたいな感じですか?
そうです。残り1周のホームで一旦後ろを見て、1センター(1コーナーと2コーナーの間)くらいから行きましたが、そこから先は後ろの様子も見ていなかったです。自分の後ろに2車いるし、見る必要もないかなと思いました。「ヨシタク(吉田拓矢)さんがこんなに行ってくれたんだから、行けるとこまで行くしかない」って。
Q:2位にかなり差をつけたフィニッシュでしたが、勝利を確信した瞬間は?
本当に後ろを見てなかったので、ゴールした時に誰もいなくて「えっ、俺!?」って思いましたね。「手ぇあげちゃったよ、G1だよな!?」って(笑)
Q:嬉しさはもちろんでしょうが、疲れもあったと思います。
めっちゃ嬉しかったですね。疲れもあったけど、嬉しさが勝る感じ。でも拓矢さんが失格になっちゃったのが残念でした。
Q:あのG1決勝レースは、これまでの競輪人生でナンバーワンのレースでしたか?
あのレースは自力でやったわけではないので、「ラインとしてのナンバーワン」だったと思います。初めて記念を獲った時は先行での優勝だったので、あれはシンプルに嬉しかったです。
Q:こういったライン戦が競輪の魅力と言えるかと思います。
そうですね。脇本(雄太)さんなんかが相手になった時、1人では勝てないからラインで挑みます。今回も実際にラインで勝たせてもらったし、これからもしっかり恩返ししていきたいと思います。
吉田ブラザーズも強いですし、今後前後でできるようにしていきたいです。楽しみです。
Q:そのレーススタイルから「ライバルは新山響平、目指す姿は脇本雄太」と書くメディアもあります。G1を獲得して肩を並べた部分もあるとは思いますが、ご自身としてはどのように感じていますか?
やっぱり2人は強いです。追いつけるようにと思っています。
Q:G1の常連になった感覚はありますか?それともまだ慣れなさがありますか?
まだまだだと思っています。二次予選敗退とかもあるし、オールスターの優勝もラインのおかげです。本当に頑張らないと(来年のS級S班も)単発で終わると思います。だから、頑張っています。
Q:去年新山選手が同じことを言ってました。
(神山)雄一郎さんにも言われたんですよ、「大丈夫だ、焦るな」って。「しっかり力を付けてやれば定着できるようになるから」と……
そう言われたのがオールスターの前場所だったんですけど、でもいざチャンスが目の前に来ると掴みたくなっちゃいましたね。(実力的に)ちょっと早いんですけど……