「日本で人生最後の挑戦を」ダニエル・ギジガー新中長距離ヘッドコーチインタビュー

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「泣かなくても大丈夫」と伝えた

Q:スイスのコーチの時の話を聞かせて下さい。当時は日本チームをどう見ていましたか?何かエピソードなどあれば教えていただければと思います。

いつのワールドカップだったのか覚えていませんが、オムニアムで梶原悠未選手が2位になったことがあります。彼女が覚えているかは分かりませんが、その際に梶原選手が泣いていました。

私は「泣かなくても大丈夫。私は君の走りがとっても好きだし、君は良い選手だよ」と伝えたことは記憶にあります。

梶原選手は1年延期となった東京オリンピックで見事な活躍しましたよね。母国開催、様々なメディアなどに取り上げられ、プレッシャーが掛かっていたと思いますが、銀メダルを獲得したことは賞賛に値します。

梶原選手だけでなく、他の選手たちも2020年の世界選手権では間近に見ています。クレイグコーチが非常に良い準備をしてきたことが分かりました。

Q:そのようなチームを率いることになるのは楽しみですか?

もちろん楽しみですが、大きなプレッシャーもあります。チームは既に良い状態ですし、自分の指導でレベルが低くなってしまうようなことは避けなけれななりません。

コーチが変わるとやり方も変わることは常ですが、次のレースまで時間も無いため、今回は出来る限りやり方を変えないようにしつつ、選手たちとコミュニケーションを取っていこうと思います。幸いにもスキルを持った通訳も居てくれるので、選手たちが自分の言葉にどう反応するのかも、これから見ていきたいと思います。

Q:通訳を介しての仕事は初めてになりますか?

そうですね。ですがスイスは3つの言語を使います。フランス語、イタリア語、ドイツ語ですね。稀に言語の問題でコミュニケーションが取れないこともありますが、そのような場合では上手く言語をMIXさせることで乗り越えてきました。なるべく言葉の壁を作らないようにしていきたいと思います。

Q:チームでは窪木一茂選手がイタリア語で話せますよね?

窪木一茂

彼とは既にイタリア語で話しましたよ。長い間喋っていなかったようなので、ブランクは感じますが、とてもイタリア語が上手な選手ですね。自転車に関しての会話では何も問題がありません。

松田祥位選手はフランス語を理解できますね。喋るのはちょっと恥ずかしがっているような気がします。

松田祥位

Q:個人的にですが、フランス語は日本人にとって凄く難しいですからね……ではギジガーコーチはフランス語、イタリア語、ドイツ語、英語が喋れるということですね。

はい。でも言語を切り替えるのは頭が混乱して大変ですよ。

Q:日本に数年いたら、日本語もリストに加わり、5か国語使いになりますね(笑)

日本語は、こちらに来てから毎日言葉を学んではいますが、発音が難しいですね。私の年齢もあるとは思いますが、選手の名前を覚えることにも、苦労しています。

68歳、新たな冒険

Q:現在68歳ですよね。今回の仕事は、ギジガーヘッドコーチの人生の中では大きな冒険と言えるのでしょうか?

もちろんです。でも私は“挑戦”や“冒険”といった言葉がとても好きなんです。これから環境や状況によって自分自身を順応させていくしかありませんね。

WCC(ワールドサイクリングセンター:UCIが持つ国際的な育成組織)でもアフリカの選手、南米の選手などを指導してきました。大事なことは、どこに居ても、その人に根付いている文化的背景を尊重することだと思っています。

Q:日本の文化について、何かクレイグ前コーチやブノワTDから聞いたことは?

たくさん説明してもらいましたよ。

Q:ギジガーさんはコーチとして、感情的に導いていくタイプか、それとも冷静なタイプか、どちらでしょう?

もちろん熱い感情は秘めていますが、それを表に出す必要は無いと思っています。コーチとしての資質は、選手がナーバスになるようなことは行わず、選手に自信を与え、そして最後には信じることだと思います。

コーチには大きく2タイプのタイプがあります。1つは怖いと言いますか、マウントを取るタイプです。選手と一定の距離を置いて、言うことを聞かせるタイプですね。もう一方は、距離を縮めて、選手たちの感情を感じるタイプです。私は後者の方が良いと思っていますし、後者のタイプです。

Q:では、その点が日本では言葉の問題で難しくなる部分かもしれませんね。

それは仕方ないと思っています。ただ、通訳の方にその部分は頼りたいと思っています。

若手からエリートまで関わってきた

Q:ギジガーさんはご自身のキャリアの中で、一番の成功を挙げるとしたら何になりますか?

選手としては、77年に世界選手権チームパシュートで銅メダルを獲ったこと。今でも記憶に残るレースとなりました。

指導となると、ニューカレドニアではフランス国内選手権で一番強かった時期がありました。指導した選手が数年後にマディソンの世界チャンピオンにもなりましたね。

ニューカレドニア・ヌメア

自分自身のチームパシュートでの良い記憶があったことから、スイスではチームパシュートに力を入れました。ジュニアの育成から始まり、ロンドンオリンピックではあと一歩で出場というところまで近づきましたが、出場できず。

リオでは念願が叶い出場することが出来ましたが、当時のエースだったシュテファン・キュングがレースの1か月前に落車したこともあり、最高のパフォーマンスとはいえない状態での挑戦となりました。

シュテファン・キュング

東京ではキュングがチームのメンバーに加わらなかったこともあり、結果は振るわず8位でした。もし彼が居たら良い結果が出ていたかもしれないと考えると残念でしたね。ロードのワールドツアーチームに入ってしまうと、ナショナルチームの活動に制限が出てくるのは仕方のないことですが……。

スイスでは若手からエリートの選手たちまで、全員とコーチとして関わることが出来たので、その点は素晴らしい経験となりました。

学んだことを還元していく

Q:あなたにとってのコーチングとは、何でしょうか?

私にとってコーチングとは、自分が学んだ物を還元することです。そして私が還元したことをチームが可視化、反映してくれることが大事ですね。私の場合はフェアプレー、リスペクトなどがその対象となります。

Q:最後の質問です。これから始まるネーションズカップはあなたにとってどのような大会になりますか?

オリンピックポイントが掛かっていることもあり、かなりレベルが高くなると思っています。まず3大会のうち2大会で良い結果を残してアジア選手権に繋げることが大事ですね。

ネーションズカップ第1戦(インドネシア・ジャカルタ)派遣選手団発表