限られた範囲でスポーツをしていた少年時代

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「勝手に大学を辞めた」ボート時代の苦悩

期待のルーキー太田海也がデビューから9連勝、特別昇班を達成

Q:高校からボートを初めてインターハイ優勝などの成績を残すわけですが、辞めたタイミングは高校を卒業を機に、でしょうか?

いえ、大学1年の11月あたりだったと思います。

Q:辞めちゃった理由は……?

色々あるのですが「自分の実力では日本を超えることができないんじゃないか」と常に感じていて……世界と戦うことを目指しているのに、日本国内でも負けることが多くて、燃え尽きたような感覚があったんです。「こんなに練習してこの成果じゃあ、これ以上は望めない」と。

それから、大学のボートのシステムに馴染めなかったのも大きかったです。「この19歳、20歳をもっと濃く過ごしたい、今のままでいいのか」という想いが強かったです。別にそれはスポーツである必要もなかったのですが「今動かないと将来後悔する」と思って……自分勝手ではありますが大学を辞めました。

Q:大学はボートの推薦で入ったのでは?

そうです。推薦で行かせてもらって、同期の中でも成績は上の方だったので、大学には本当に申し訳ないことをしたし、高校にも……

本当に身勝手な行動で、たくさんの大人の方にご迷惑をおかけしてしまいました。後々頭を下げて回りました。

自転車との出会い

期待のルーキー太田海也がデビューから9連勝、特別昇班を達成

Q:その後岡山の自転車ショップに就職してロードバイクを買って、自転車を始めたんですよね。どうして自転車ショップに勤めることになったんですか?

これは本当に恥ずかしい話なんですが……大学を辞めて地元に戻って、食い繋ぐために日雇いの土木現場の仕事をしていたんです。

当時の全財産は30万円くらい。仕事現場への交通手段として車を買うことを考えたのですが、維持費を考慮すると全然足りませんでした。それで「俺、体強いし自転車で良いんじゃね?」と思ったんです。

当時は自転車のことを何も知らない状態だったので「30万円あれば1番良い自転車を買えるんじゃないかな?」と思って、岡山の素敵な自転車ショップに入ってみたんです、「高級そうだな〜」とか思いながら。

で、入ってみたら、全ッ然買えない。

悩んでいたら「若いのにどうしたの」って感じでたまたま社長に声をかけられたので、「ここで働かせてください!」って(笑)

Q:(笑)

「働くの!?大学は?」「辞めたんです」って話しているうちに仲良くなって、1時間くらいそのまま話し込みました。「じゃあ面白そうだから後日面接きなよ」ということになって、就職させてもらった、という流れです(笑)

Q:すごいですね(笑)

その時は「これが流れに乗るってことなんだ!」と思いながらやっていました。宙ぶらりんの状態でしたから……

元々競輪という職業を知ってはいました。でも「選手になりたい」と思うようになったのは、自転車ショップに勤めたことがきっかけです。

Q:競輪選手になりたい、と思った決め手はなんだったのでしょうか?

定価140万円くらいの自転車を、気づいたら買っちゃったんです(笑)その自転車で1時間くらいかけて通勤しているうちにボート時代の体力が戻ってきて、「もっと体を動かしたいな」と思うようになりました。

それで朝5時くらいから集まる、地域の方々の自転車練習会に参加し始めました。でも50歳くらいのおじさんたち相手に全然勝てなかったんです。「何が違うんだ?絶対体力では負けてないはずなのに……」となったところから、ペダリング技術とか、自転車の奥深さを知りました。

朝5時から練習して、そのまま会社に行って夜8時まで働いて、その後夜10時くらいまで1人で練習して、1時間くらいかけて自転車で帰宅して……そんな毎日を繰り返しているうちに

 

「働いている時間より、自転車に乗ってる時間の方が長くね?」

 

となっちゃったんです。

「働いてる時間、練習しないのもったいないなあ」とまで思うようになりました。

そうして「これが職業になれば良いのにな」と思った結果、競輪選手の道を目指すようになりました。

気づけば「日本代表」に

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