深谷「まず、ナショナルチームの引退発表をした時、自分で纏められなかったからMore CADENCEに投げました(笑)自分で編集しながら1~2か月位時間がたって、これは纏まらんと(笑)ということでお願いします」

と、まさかの逆指名でこの名誉あるインタビューを行うことになった我々More CADENCE。ここから深谷知広のナショナルチームからの引退の真相に迫ります。

パリまで”3年”しかない

Q:ご指名承りました(笑)恐縮ですが、インタビューをさせていただきます。
まず、なぜ”引退”なのでしょうか?休むなどの選択肢もあったかと思います。

競技を”休む”という選択肢ももちろんありました。でもパリまで”3年”しかないという状況で、自分は半年は休みたかった。それから戻って……と考えると時間がない。ですから”休む”という選択は自分の中であり得ないものでした。

Q:半年……その期間の理由は?

そこは大体の雰囲気です。もちろん競輪を走らなければいけないし、収入も無かったですし……コーチとも”休む”という選択肢については話しましたが……パリまで”3年”という時間が短かった。それが引退に至った一つの理由です。

Q:”3年”ではなくて、4年ある中での半年休みだったら、今の選択肢にはなっていなかった。そういうことでしょうか?

なっていませんでした。新型コロナの影響も、今回の判断に至った一因ではあります。もちろん「大会に行ったら2週間の隔離」といった面も、自分の中ではプラスに働きませんでした。

深谷知広 ジャパンカップ×HPCJC, 伊東温泉競輪, 長迫吉拓撮影

Q:引退は”競技”からというよりは”ナショナルチーム”から、ということですよね?

そうですね。自分は自転車競技が好きですので、「自分のペースで自転車競技を続けていく」という選択をしました。

Q:東京が終わり、次は深谷選手の時代が来た!という中で、この選択は本当に不思議というか、もったいないという感覚ですが、ご自身の中では?

自分の中では全くありません。でも周りからは様々な言葉をいただきました。その中で一番多かったのが「もったいない」です。

でも自分の中で、「次」という意識というよりは、1つのゴールを迎えてしまったような感覚が強かった。ある程度やりきった思いが強かったと思います。「もったいない」という意識は、自分には無かったです。

欲の出どころが変わった

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