パリまで"3年"しかない

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欲の出どころが変わった

Q:とはいえ、若手を引っ張っていかなければならない立場でもあったと思います。袖を引かれるような想いは?

それについては……いろいろ考えたときに、最初は全部自分のためっていうか、ずっと自分が主で考えて動いていたところがありました。でも今は他人が主になっています。

「後輩を育てよう」とか「周りで応援をしてくれる人がいるから頑張ろう」とか。それがハマらなかったというか……なんだろう……意識の場所が変わった感覚がありました。それが噛み合わなかった……欲の出どころが変わったというか……

Q:いつくらいからそうなりましたか?

世界選手権が終わって、空白の1年の間だと思います。

Q:要因は?結婚などもありましたが?

生活スタイルが変わったことも大きな要因の1つでもありますが、なんだろう……居場所が変わった、自分の中の居場所が変わったっていう。結婚して子供が生まれて、価値観というか……難しいですね。

Q:ここまでの話を聞く限り、複合的な要因によって自分の中の心の在り方が変わったということでしょうか?

いろいろ整理した時に1つの要因ではありませんでした。さまざまな事象が重なって、その中の1個を解決できたとしても他にたくさんの要因があって、それをトータルすると、自分の人生の中の価値観が変わったのかな、という感じです。何に、そしてどこに価値を見出すのか、というところが変わったのかなと思います。

元々1つのことを究極まで極めることが得意ではない方なので、その中で自転車競技選手としての8割くらいには到達したと感じています。残りの2割くらいを次の3年間に費やすことが出来なくなった、という感じです。

Q:難しいですね。コーチ陣からの引き留めは?

ありましたが、「中途半端に関わる」というのは一番したくないことでした。たまに顔を出すなんてすると他の選手の士気にも関わるし、関わり方が難しいと。だから今は一切関わらないようにしています。

Q:オリンピックもナショナルチームから退く要因の1つだったのでしょうか?

それもありました。1年延期になって、日本チームとしてもレベルアップは確実にしていました。でも自分たちが思っていた以上に世界は伸びていた。

Final / Men's Sprint / TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP IV, Cambridge, New Zealand, 深谷知広 新田祐大 深谷知広, 決勝, 男子ケイリン, 2020全日本トラック

新田(祐大)さん、ワッキー(脇本雄太)の強さは自分が1番知っていると思いますが、あの2人が勝てなかった。その事実はある意味挫折だったし「この2人で勝てないのならば仕方ない」という考えもありました。

Q:決心がついたのは、オリンピックが終わってから?

決めていたのはもっと前なのですが、東京オリンピックの世間の反応も要因の1つであったかと思います。もっと応援してもらえるようにすれば良かったとか。応援してもらえるような流れを東京オリンピックまでに作れなかったというところも失敗だったかなと。

応援してもらうことよりも「結果を出せば良い」と思っていた人間が大半だったと思いますし、それを4年掛かって変えられませんでした。この点については、選手をやっていたら変えられない。そういった要因もあります。そういう部分を変えられるようにしていきたいです。まずは自転車競技をもっと世の中の人に知ってもらうことが大事です。

Q:家族との生活の部分、そんなところもありますか?

子供が生まれてのゼロからの3年間、その2度と返ってこない時間を費やすと思うと……そこも大きな要因でした。また生活における不安定さも要因のひとつではあります。保障はあるにしても本業の競輪よりは稼げませんし、もし競技で稼ぐことが出来れば、また違う選択肢があったかもしれません。

明らかに違う場所へと進化した

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