オーストラリア出身、日本経由のロシア代表として東京オリンピックを目指す、シェーン・パーキンスの数奇な運命

シェーン・パーキンス

Text:Mizuki Ida
Photo:Shutaro Mochizuki

オーストラリア代表だったのに、ロシア代表として東京オリンピックを目指す

伊豆は修善寺、この山奥に、オーストラリア出身、長年日本で修行を重ね、ロシア代表として東京オリンピックを目指す選手がいる。その名もShane Perkins(シェーン・パーキンス)。仲間からは“パーコ”の愛称で呼ばれている。鉄塊の様な分厚い胸板と、丸太の様な太ももが、ひと目で生物的な強さを物語る。トラック競技では、オリンピックや世界選手権でメダルを量産する、名実ともの実力者だが、彼の選手人生は3カ国を渡り歩く、非常に数奇なものだった。

来日8年目のシェーン・パーキンス選手へインタビュー

シェーン・パーキンス

恵比寿に住んでいた事もある

Q:日本に来て何年ですか?
初来日は2009年です。これで8年連続の短期登録制度での来日ですね。毎年半年位は日本に居るから、長いですよね。もう日本は僕の第2の故郷ですよ。今は伊豆長岡で家を借りています。昔は恵比寿に住んでいたこともありますよ。日本の、東京の忙しい生活を実感してみたかったんです。ただ、僕らライダーたちはトレーニングが欠かせないので、やっぱり三島と修善寺の真ん中あたりがベストな場所だと思います。

Q:恵比寿に住んでどうでしたか?
恵比寿での生活は凄く気に入ってましたよ。伊豆の方にいるとなかなか日本を体験できないというか、日本らしすぎるというか…まあ外国からやって来た観光客が楽しむ様なことは、伊豆だと経験できないわけです(笑)なので2013年だったかな?家族を連れ、友達の家に4ヶ月住みこみ、東京ライフを満喫しました。たくさん人がいるし、何でもできるし、観光もできるしで、とても楽しかった。

初出場で金メダル3つ、しかも新記録樹立

シェーン・パーキンス

Q:なぜ自転車競技を始めたのですか?
父が1964年に開催された東京オリンピックの自転車トラック競技に出場してたんです。僕が産まれた時には既に父は引退してましたが、引退後は自転車のフレームビルダーを始め、今も現役です。だから競輪仕様の黒銛とか作ってますよ。また、地元でトラック競技のコーチもやっていたりするので、自分も小さい頃からトラック競技を行っていました。地元はオーストラリアのビクトリアという所で、そこでいつもトラック競技には触れていましたね。父が僕に競技を勧めることはなかったけれど、テレビやビデオでオーストラリア選手のスプリンターたちを見るのが好きだったんですよ。12〜13歳くらいの時から、週末に父と練習するようになって、地元のトラッククラブに入り、自転車を買って…そこが全ての始まりでした。トラック競技を始め、3ヶ月位でビクトリア州のU-15代表になって、国内選手権を戦いました。そこでスプリント系の種目で3つの金メダルを取っちゃったんですよ。しかもU-15の国内新記録でね(笑)その時の経験で一番印象深いのは、生まれて初めて両親から離れてシドニーへ行けたことです。それまでビクトリア州から出たことが無かったので。チームのメンバーと一緒でしたが、親の監視が無く、飛行機に乗って、遠くへ行く。これはたまらなく嬉しかったですね。ここから私の自転車人生が始まったわけです。プロとなったのは17歳の時。そこから世界チャンピオンになって、ロンドン五輪のスプリントで銅メダルを取って…と。まだまだ達成しなければならない目標がたくさんありますけどね。

東京オリンピックへ出場するために、3つの国を渡り歩く

シェーン・パーキンス

Q:自転車選手として大変だった経験はありますか?
オリンピックの合間である4年間は、あっという間のようで、結構長いですからね。僕はまだ小さい子供もいますし、海外を飛び回って生活するのは大変です。2012年のレースでは落車で大怪我を負い、肩の手術をしました。その後もリハビリを頑張り、オーストラリアのナショナルチームに入ることもできましたが、今度は2014年に腰を悪くして…年を取ったのもありますが、ナショナルチームに必要とされなくなりました。ここからが大変なストーリーなんです。聞いても「嘘だろ?」と思うかもしれませんが…。

オーストラリアのナショナルチームには僕の代わりに、僕が怪我をしていた間に指導していた若い選手が入ったんです。だからリオデジャネイロ オリンピックに向けてはチームのサポートが得られず、全て一人でどうにかしなくてはなりませんでした。そんな時、日本の友達の新田祐大選手がドリームシーカー(新田選手が立ち上げたUCIトレードチーム)に誘ってくれて、より所の無かった僕にチャンスを提供してくれました。でもオーストラリア選手権で優勝をしたのに…リオ オリンピックの選手選考では選ばれませんでした。だから、2016年に日本で競輪を走ったあとに引退しようと考えていました。

その時、仲の良いデニス・ドミトリエフへ状況を話したら「お前はバカか?」って言われちゃいました(笑)「歳を重ねるごとに自転車選手として成長しているのにもったいない」って。
それで、冗談で「ロシアのチームで走っちゃうか!」って言ってたら…なんと、ロシアのナショナルチームにはトラック競技のKEIRIN(ケイリン)が得意な選手を必要としていて、チームスプリントでも選手が足りないと。当時の自分が置かれた状況としても、オーストラリア代表では走りたくても走れないし、目標は2020年の東京オリンピックなので、思い切ってロシア代表として頑張ることにしたんです(!?)。

日本の伊豆ベロドロームはホームトラックみたいなものですし、日本人のファンもたくさんいる。だから、日本で開催されるオリンピックでは絶対にメダルが獲りたいんです。オリンピックって、国を代表し戦う場所ですが、同時に個人が戦う場でもあると思います。誰もがドラマを持ち、それが僕にとっては、親しい友人や旧知の土地である日本と関わること、そして何故かロシア代表で五輪に出るってことだったんです(笑)1人くらい、僕みたいに変なストーリーを持ってたってイイでしょ。この話って一度説明したらみんな納得してくれますが、実際僕がオーストラリアのユニフォームを着て、同じ年に日本のドリームシーカーのユニフォームを着て、そして次の年にロシアのユニフォーム着てると「どういう事!?」って顔を皆がするんですよ。 リオデジャネイロ オリンピックの後に引退するのは、とっても簡単な選択だったと思います。「コーチにならないか?」ってオファーもたくさん来ました。でも、やっぱり2020年の東京オリンピックでメダルを獲りたいし、自分の姿を見て、いろんな人がいろんなことを感じてくれたら良いなと思って。自分はまだまだ、人々に希望を与えることが出来るって思ったんです。

ロシア代表選手として戦う事を決意

シェーン・パーキンス

Q:え?オーストラリア代表でオリンピックに出場したら、他の国の代表としては試合に出れなくならないんですか?
それについては、いろいろ調べました。実は日本代表にもなれます(笑)オリンピックの規定上、代表になる当該国のパスポートを持ち、その国でナショナルチームに選ばれれば出場できるんです。オーストラリア代表としてオリンピックや世界選手権に出場した経験があっても、問題ありません。ただパスポートが問題で、発行に時間が凄く掛かるんです。2〜3年掛かります。そしてパスポートが発行された場合、オーストラリアのパスポートは失効します。オーストラリア国籍がなくなるって事ですね。僕には妻と2人の子供がいるので、彼女たちの国籍を変えさせるのも、ちょっと難しいな…と。しかしロシアのパスポート取得条件を調べてみたら、国籍を変えることなくロシアのパスポートが取得できるとわかりました。しかも掛かる時間は6ヶ月。もちろんロシアのパスポートを取得するのは簡単ではありませんが、ロシア代表になるためは、と手続きをすることにしたんです。なので、今シーズンは完全にロシアチームの代表として戦いますよ(笑)このジャージを見て下さい。まだUCIから許可を得ている最中なので、ジャパントラックカップ2017ではモスクワのトレードチーム所属として走ります。

趣味のゴルフスコアは平均80

シェーン・パーキンス

Q:日本に初めて来た時、何か不思議に思ったこと、文化の違いなどで苦しんだことはありましたか?
それはまぁ…例えば、食べる前に「いただきます」と言うとか、食文化の違いとかありましたよ。でもね、困ったとか、理解できないと思ったことはあまりないです。日本の文化は好きですよ!日本に来ることが好きでもあります。じゃなきゃ8年も連続で来ないですよ(笑)

Q:趣味はどんな事ですか?
ゴルフ!2009年に日本へ来た時に始めたのですが、とってもハマってます!凄く良いコースが日本にはたくさんありますよね。いつもは競輪学校の先生とラウンドします。滝澤校長先生ともね!僕の平均スコアは80くらい。プロになれる腕前はありませんが、携帯電話を持たずに自然の中でリラックスできるから大好きです。伊豆の美しい環境も最高ですね。

Q:お子さんも伊豆ベロドロームに来たりしますか?
しょっちゅう来てますよ。伊豆ベロドロームの隣にある、サイクルスポーツセンターには何回も来てます。あと、ディズニーランドには3回くらいかな?一緒に行きました。息子が8歳で娘が6歳。息子が1歳と少しの時に、サイクルスポーツセンターの外で撮った写真があるんですが、この間同じ場所で写真を撮りました。子供はすごいですよ。2~3ヶ月も日本にいると、けっこう日本語を覚えるんですよ。

実は、日本語わかります。

シェーン・パーキンス

Q:8年間も日本に来ているから、パーキンス選手も日本語ペラペラですよね?
うーん…言い訳させてもらいたいんだけど、半年こっちに居て、半年は日本の外にいるから、覚えた単語はほとんど全て忘れちゃうんです(笑)でも、喋れはしないけれど、何を言ってるかは結構わかってますよ。特に競輪用語はほとんどわかります。

Q:じゃあお気に入りの日本語はありますか?テオ・ボスやサム・ウェブスター選手は「多分」って単語が好きだって聞きましたけど?
それはテオがいつも言うからだよ(笑)覚えやすいから好きなんでしょうね。私が好きな単語を1つ挙げるとしたら「冗談」ですかね。いつも「マイケル・冗談(ジョーダン)」って言うんです(笑)結構笑ってくれる人いるんですよ!

まぁ、それはそうとして、さっきも言った様に、実は日本語はけっこう理解ができます。だから、日本の競輪で出走前に他の選手たちが、僕が日本語を理解できていないと思い作戦とか話していたとするでしょ?実は理解できないフリをして聞き耳を立ててるんですよ。で、実際のレースでやっつけるんです。あっ、これは秘密にしておいた方が良かったかな??(笑)

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