Text:Mizuki Ida
Photo:Shutaro Mochizuki

More CADENCEでは“Behind The Scene”として、自転車競技へ関わる様々なヒトやコトの裏側に潜む面白いストーリーをお伝えしていきたい。

自転車トラック競技を知っているか?

自転車のトラック競技は、ほとんどの人が「よくわからない」と答えるスポーツだろう。連想するのは日本の競輪?それとも中野浩一さんが10連覇を遂げたスプリント?モヤモヤしたイメージしかないのが現実だ。

なかなか耳にしないコアな世界である自転車競技。でも、実はすっごく面白いんです。さらに競輪の短期登録制度(短期間限定での特別参加制度)を利用し、世界の名だたる名選手が競輪を走っているってのを知ってましたか?

そんな彼らについて知らないのは、自転車やスポーツ好きとしてもったいない!なので是非ぜひ是非とも今回からコラムで紹介したい。

第1回目はロシアからやって来た強豪をご紹介!

トラック競技スプリント種目の世界チャンピオンへインタビュー

デニス・ドミトリエフ ~茶目っ気たくさんの大型スプリンター~

自転車競技の男子スプリント種目、2017年世界チャンピオンのデニス・ドミトリエフ選手。世界トップの実力を持つ大物だ。日本人にとっては「誰?」と思う人が多いだろう。そんな謎のムキムキしたロシア人、デニス・ドミトリエフ(Denis DMITRIEV)とは何者なのか?

デニス・ドミトリエフ(Denis DMITRIEV)プロフィール

1986年生まれ、ロシア国籍のトラック競技選手。愛称はDan(ダン)。主な戦績は2013年世界選手権スプリント銀メダル、2014年世界選手権スプリント銅メダルと2年連続のメダル獲得。2016年リオデジャネイルオリンピックでもスプリントで銅メダルを獲得。2017年のUCIトラック選手権でもスプリントで金メダルを獲得し世界一に輝いた。

keirin.jp プロフィール:http://keirin.jp/pc/racerprofile?snum=130101

日本車好きのスピードジャンキー

Q:なぜ日本のレースへ出ようと思ったのですか?

A:昔から日本で走っている選手の情報は聞いていました。ただ、日本の競輪についての情報は海外になかなか出てきません。ルールについてや、レースの映像も。まあ今はインターネットがありますが、私たちは日本語がわかりませんからね(笑)。しかし、私は昔日本で走っていたアンドレイ・ビノクロフと仲が良かったので、彼がいろいろと情報を教えてくれました。いろいろと聞いて、絶対に日本にいってレースをしないといけないと思っていました。実際に来てみて、とても良い経験をしていますし、日本独特の文化にも触れることができています。

Q:日本の他のモノにも興味はもともとあったのですか?

A:実は、私は日本の車が大好きなんです。子供のころは日本のレーシングカーが大好きでした。なので、日本に来ることは一つの夢だったし、そのためにたくさん努力をしてきました。初めて日本に来ることが出来たのは2014年ですね。

Q:じゃあ好きな車は?

A:トヨタのセリカ、スープラ、マークⅡ…かなり古いタイプの車ですが、今でもカッコよさは変わってませんよね。ただ、ロシアでは今言ったような車を見つけるのが難しいんです。見つけたとしてもボロボロだし、直すのにお金が掛かります。若いころはそのようなお金がなかったので、買えませんでした。モスクワに住んでいるのですが、周りには何人かそのような車を持っている友達がいて、その友達に会いにいくのではなく、車を見にいくことはありますね(笑)。スープラを持っている友人がいて、チューニングも本格的な日本仕様になってます。そして、めちゃくちゃ速いんですよ。何回か運転させてもらいましたが、頭がぶっ飛ぶほどの衝撃を受けましたよ!その時「必ず日本に行こう」と思ったんです(笑)。

Q:ロシアでは何か車を持っていたんですか?

A:バイクを持ってました。すっごく速くて危ないYAMAHA R1です。少なくともスピード好きな自転車のスプリンターたちにはとっては危険な乗り物ですね。速過ぎる。街中では安全運転をしているけれど、なんといってもYAMAHA R1の最高速度は時速300kmですから。1速で100km、2速で160kmも出ちゃう…日本のイカれたバイクですよ。ただ、2回ほど危ない事故にあって、怪我は大したことなかったんですが、持っていると乗ってしまう…リオ五輪の前に事故でも起こしたら大変だと思い、売ることにしました。2年間くらいの所有期間でした。

Q:そんなにスピード好きなんですか?

A:まぁスプリンターたちは皆スピードが大好きですよ。アドレナリンが出て「前のヤツを抜かしたい!」と思っちゃうんですね。公道で車やバイクに乗っている時は熱くならないように自制しなくてはいけません。だからレースの時は完全にリミット解除状態ですよ(笑)。

Q:スピードへ対して恐怖心は無いんですか?

A:たぶん一般の方々には理解してもらえないと思いますが、自転車でいくら速く走っても怖くないんです。「もっと速く、もっと速く…」と。レースになると「危ないからスピードを抑えよう」みたいな意識は完全に無くなっていて、もっと速く、もっと多くの人を抜きたいんですよ。スピードを怖がっている選手は強くなれません。日本の競輪でもそうですよね?いちいち怖がっていたら、絶対に勝てません。日本の競輪だとスピードがある中でブロックされたり危ないことがたくさんあります。もしかしたら日本人の競輪選手の方がスピードを怖がってないかもしれませんね。言いたいことは、スピードへ対する恐怖心はレースにおいて邪魔でしかないということですね。

競輪とKEIRINは全く違う

Q:何か日本で困ったことはありますか?

A:文化が全く違うので、最初は少し戸惑いましたね。例えば打ち合わせがあったとして、日本では10分前に行かねばなりません。ロシアでは少し遅れたとしても、謝れば何ら問題はありません。ですから時間的なことに慣れるのが大変でした。いつも何かに追われている気分で、大変だなぁ…と感じていました。でも時間をキッチリと守る生活へ慣れてみると、自分が正直というか、正しい人間になった気がします。以前は遅刻をしても何とも思わなかったのですが、今は遅れません。ロシアでも皆に「すげー!」って言われます(笑)。

他には、日本人がシャイなところでしょうか。例えば誰か英語が話せる競輪選手がいたとして、最初は話をしてくれません。ただ、何回か会って仲良くなると、一生の友達になれます。一度仲良くなったら、凄く良くしてくれるんですよね。1回壁がなくなると、もう凄く仲良くなれちゃうんですよ。僕たちは元々オープンですが、日本人は少しだけオープンになるのに時間が掛かるのだと思います。最初は距離を置かれているように感じて何か自分が悪いことをしたのかと勘違いしそうになりますが、日本人と仲良くなるには時間が必要だということがわかりました。

Q:じゃあ仲の良い選手は?

A:渡邉一成新田祐大佐藤慎太郎は仲良しですね。特に佐藤は面白いですよ。追い込みが上手いですよね。日本に来て、たくさんの友達ができましたが、職業柄ほとんどが競輪選手です。

Q:競技のKEIRINと日本の競輪の違いは?

A:日本の競輪と競技のKEIRINは完全に違います。ルールやライン、トラックもですね。機材も違う。日本の競輪は機材が古く、スチールフレームの自転車ですが、KEIRINは最新のカーボンフレームでやります。呼び方と“自転車に乗る”点は変わりませんが、全く異なるものですね。ただ僕はその違いが好きです。普段KEIRINやスプリントをやっているので、大好きなご飯を毎日食べるといつか飽きてしまうように、競技に対しても同じことが起こります。日本に来ると、自転車に乗ることは同じですが、頭の中のスイッチが変わるんです。日本に初めて来たころは全然日本での走り方がわかりませんでした。ただ、時間をかけ慣れてきたので、4年目にしてやっと日本の競輪で何をすれば良いのかわかるようになってきました。日本の競輪は瞬時に作戦が変わり、何千通りもの作戦があると思います。慣れてきたので、今は戸惑うことがなく勝つために走れているのだと思います。またこの5年間で自分の身体能力が上がったことも日本で勝てるようになった原因の一つだと思います。コンディション、パワー、持久力、経験値、全てが上がったので日本の競輪でも楽しめていますね。こうなるまでに僕には少し時間が必要でしたが、他の選手は違うかもしれません。

味噌ラーメンが大好き!

Q:日本で食事に困った事はありませんか?

A:どこにいっても日本語でしか記載がないし、お店の人たちも英語が話せないのでかなりストレスが貯まりましたね。怒って店を出てしまったこともあります。今はどこに行けば良いのかわかるし、何を頼めば良いのかもわかるのでストレスはありませんよ。僕は食べることが大好きなんです。ただ、勝つために、五輪でチャンピオンになるためには食事制限が欠かせません。好物は油っぽいモノです。皆さんご存知のように、美味しいものは健康的ではありません。なので我慢するのが結構キツいんです(笑)。

あと、寿司も好きですよ。それと刺身。鮭、マグロ、イカ…そうそう、味噌ラーメンも好きです。味噌ラーメンはカロリーが高いので、本当はあまり良くないのですが、我慢できずに食べちゃいます。

Q:オフの日は何をして過ごしてるんですか?

A:凄く疲れている時は家に居ますが、大体は散歩をしてますね。東京にも散歩しに行ったりします。この前も妻と一緒に銀座へ行き、ショッピングをしようと思いましたが、結局一日中散歩をしてました。カフェに行って、レストランに行って…そして伊豆に帰ってきました。こんな休日の過ごし方が好きですね。来週末は下田のビーチにいったり、もっと日本を見てみたいと思っています。ただ、トレーニングもあるし、何かを犠牲にしないと時間を作れないので、楽しみを取るか、レースでの結果を取るか…

トレーニングをサボると結果が出ないですからね。ただ、楽しみつつもトレーニングをちゃんとするように心がけています。

もし日本の競輪に招待されなくなっても、2020年の東京オリンピックに向け、オリンピック会場となるこの伊豆へ何回も来るでしょうね。まだまだ日本で行きたいところはたくさんあるので、いろいろ引退後のために考えているところです。

Q:え!?引退を考えてるのですか?

A:“今は”東京五輪後に引退しようと考えています。ただし、金メダルを取ったら…それ以外は満足できないかも(笑)。

Q:ぶっちゃけ、ロシアに帰りたくならないんですか?

A:うーん…あんまり。日本は何でも美味しいので。ただ故郷の食事という意味では少し帰りたくなる時があります。でも今年は家族も一緒に日本へ来ているし、まだ帰りたい気持ちはないです。日本に慣れたことも大きいかもしれませんね。

30年以上ぶりに父と再会

Q:最後に、生い立ちとか家族について教えてください

A:祖母がロシア人、祖父は捨て子だったそうで、誰が本当の両親か知らないらしいんです。だから僕もどんな人種の血が混じっているのかわからないんですよ。不思議ですよね。祖母はロシア人で祖父とロシア軍の基地で出会ったそうです。その後、ウクライナで祖父母は暮らしていました。1歳の時に両親が離婚し、私も母と共にウクライナの祖父母の元で14歳まで暮らしました。ウクライナで暮らしている頃に自転車のロードレースを始めました。私が14歳の時に、親戚も多かったモスクワへ引越し、その時にトラック競技と出会ったんです。初めて自転車のトラック競技場のベロドロームを見た時はビックリしましたよ。こんな所で自転車に乗るなんて怖すぎる!絶対に嫌だ!って思いました(笑)。「俺はロードレーサーだからやらん!」って。ただ覚えているのは、その時のコーチが「君はいつかトラック競技をやるかもね」って言ってました。そして、実際にそうなりました。それで今もモスクワに住んでいます。母もいますよ。

そうそう。驚いたことに、父親がネットで僕を見つけてくれたんですよ!一年前だったかな。今は友達のように接しています。彼に対して怒る気持ちはありません。ただ、わかったことは母と結婚する前には3回結婚していたらしいです(笑)。今は独り身みたいですね。僕の父はそんな人間です。

兄弟はなくて、一人っ子なので僕はお母さんっ子です。ちょっと男っぽくないところがあるかも…?全部母から学びましたからね。ただ15歳くらいから競輪学校の生徒のようにモスクワの寮に入ってました。5、6年前までずっとです。だから、プラベートライフを楽しんでいるのはここ最近のことです。

ロシアからやって来た筋肉質なスプリントの世界王者、デニス・ドミトリエフ選手。イカつい見た目に反し、とっても気さくでお茶目な人だとよくわかる、彼の日常が綴られるTwitterやInstagramも要チェックです。

Twitter:@dmitrievtrack
Instagram:@dmitrievden