4月19日から開幕する『香港インターナショナルトラックカップ I / II』。
若手中心のアカデミー(Bチーム)メンバーで挑む短距離陣のなかでも、注目したいのが、この大会でエリートカテゴリでのデビューを果たす高橋奏多。
2006年生まれ、BMXレーシングでのキャリアを経て2023年にトラックに転向。2024年には『ジュニア世界選手権』ケイリンで銀メダルを獲得するなど一気に活躍し、この春から日本競輪選手養成所入りが決定するなど話題に事欠かない彼だが、じつはこれが人生初のロングインタビュー。
パーソナルな部分から、トラック競技との出会いのきっかけとなった、“運命の赤い糸”で結ばれたあの選手の存在まで、さまざまな話を聞いた。
高橋奏多とは?
Q:これまでインタビューを受けたことはありますか?
レース後の簡単なインタビューはありましたけど、こういうしっかりとしたインタビューは初めてです。どうなるのかちょっと不安ですね(笑)。
Q:まずはプロフィール的な部分。出身地と家族構成を教えてください。
出身地は大阪です。両親と、8歳上の姉がいます。
Q:家族は、自転車やスポーツをやっていましたか?
お父さんはマウンテンバイクに乗っていて、ダウンヒルコースを走ったりもしていました。僕もその影響でダウンヒルをやろうかと思ったのですが、怖すぎたのでやめました(笑)。
それから、小学校3年生の時にBMXが乗れる公園に連れて行ってもらって、飛んでる人を見て「すげー!」と思ったのを覚えています。
Q:それでBMXに乗り始めたと。ほかのスポーツはやっていなかったのですか?
小学3年生までは、かじる程度ですが水泳を行っていました。中学の時も少しだけ陸上競技をやりましたが、BMXが忙しかったので辞めてしまいました。
BMX歴6か月で優勝
Q:小学校3年生で始めたBMX。BMXレーシングの大会では、すぐに結果が出たのでしょうか?
すぐには勝てなかったのですが、ジム練習をやり始めて強くなっていきました。
Q:初めて表彰台に乗ったのは、どれくらいの時だったのでしょうか?
始めて6か月の時ですね。
Q:えっ?すぐ結果が出ているじゃないですか(笑)。
『阪本章史杯 GAN CAP』という、ビギナー向けのレースが岸和田で開催されていたんです。そこで初めて1位をとって、一気にのめり込んでいきました。
“あの長迫さん”が言うなら間違いない
Q:そこからは数々の大会で優勝するなど活躍を続けていきますが、日本一になった経験は?
2022年『第39回全日本自転車競技選手権』の、15-6歳の部で1位になりました。
Q:……たしか、そのくらいの時期にトラック競技を始めていますよね?
実は日本一になれたその大会の会場に※長迫(吉拓)さんがいて、「トラックやってみいひん?」と声をかけていただきました。
あの長迫さんが言うなら、間違いないと思って。
※長迫吉拓:BMXレーシングの日本代表としてリオ、東京オリンピックを経験。トラック競技でもパリオリンピックに出場し、大会では“世界2位”のスピードを見せた選手。
Q:やはり長迫選手は “あの長迫さん”なんですね。
いや、もうほんとすごい方なので……それでワットバイクのテストを受けて、トラック競技の練習をするようになりました。初めて伊豆のベロドロームで走ったのは、高1の2月(2023年2月)です。
あの長迫さん
Q:日本一になり、もっとBMXレーシングを頑張ろうと思うタイミングでもあったのではないでしょうか?
勇気のいる選択ではありましたが、2023年の6月にマレーシア・ニライで開かれた『アジア選手権(ジュニア)*』に、チームスプリントで1走として出させてもらい、そこからトラックに専念することにしました。その時は、チームスプリントしかできないだろうなと思ってはいましたが……。
*杉浦颯太選手、山崎歩夢選手とのチームで出場。結果は惜しくも4位。
16歳の選択
Q:トラックとBMXの両方をやっていく、という選択肢はなかったのでしょうか?
それもありましたが、リスクを考えたらどちらかに専念するべきだと思っていました。どちらかで落車したら、どっちも走れなくなってしまうので。
Q:本格的にトラック競技を始め、高校時代は大阪を拠点にしつつ、伊豆と大阪でトレーニングを積むという期間も長かったと思います。大阪では、どのようにトレーニングをしていたのでしょうか?
みなみさん(上野みなみ/ナショナルチームジュニアコーチ)にメニューを教えてもらっていました。みなみさんには、自転車の梱包からなにからイチから教えてもらって、本当に感謝しています。
師匠は酒井拳蔵
Q:高校時代の練習場所はどこで?
メインは岸和田競輪場です。ただ、岸和田競輪場は師匠がいないと練習できないので、BMXの時にお世話になった阪本章史さんがいるジムでもトレーニングをしていました。
Q:ちなみに、師匠はどなたになるんでしょうか?
酒井拳蔵さん。(酒井)亜樹ちゃんのお兄さんです。ナショナルチームの方が酒井さんに話をしてくれて、酒井さんも快く受け入れてくださいました。
猫を被ってるだけだと思います
Q:自転車の英才教育を受けてきているような感じがしますね。
わかんないです(笑)。
でも、ほぼ自転車だけをやってきてはいますね。
Q:ご家族は、地元から離れてトラック競技をやっていくことに対して心配もあると思いますが、どんな反応でしたか?
基本的に「好きなことをしなさい」という両親なので、応援してくれています。
お姉ちゃんは……わかんないです。(笑)
Q:お話を聞いていると、すごく柔らかい印象を受けます。オラオラ系じゃないというか。
敬語だから関西弁もそれほど出ないですし、まだ猫を被ってるだけだと思います(笑)。
友達とか、中石(湊/兵庫出身)さんや亜樹ちゃん(大阪出身)とかと喋っていると関西弁も出ますよ。亜樹ちゃんは最近標準語っぽいですけど。
銀メダルを手にしたアジア選手権での“やらかし”
Q:長迫選手に声をかけられたことからスタートしたトラック競技。順調にキャリアを積み上げていき、2024年には『アジア選手権(ジュニア)』スプリントで銀メダルを獲得しました。
嬉しかったですね。個人種目はどう戦うべきか分からない、という中で銀メダルを取れたというのは自信になりました。
Q:パク・ジュンソン選手(韓国)と対戦した決勝の1本目では、相手に15秒近い大差をつけられてしまい、注意を受けるという場*がありました。
疲れきっていてまったく足が動かず……1本目は捨てて、次に備えようと思って流したのですが、それがいけないことだと知りませんでした。審判にちゃんと走れと怒られました。
正式なルールブックなどを読んで、「これはやっちゃいけない」というポイントを知り、次に活かしていないとですね。
Q:とはいえ、手にした銀メダル。表彰台に乗った時の気持ちを教えてください。「アジア2位の高橋奏多だぜ」的な感じでしたか?
2位でしたし、ジュニアですし、そんなオラオラした感じにはなれないです(笑)。