2024年春に日本競輪選手養成所を卒業し、プロ競輪選手となった125期(男子)・126期(女子)たち。デビューから約1年が過ぎ、彼らはどのように成長したのだろうか。
この記事ではデビューから約1年の2025年5月時点における、S級に昇級した125期選手を紹介する。
栗山和樹

岐阜・1997年生まれ(27歳)
高校〜大学と自転車競技に邁進、大学卒業後は岐阜県内で就職していたものの、新型コロナ禍に心境の変化があり競輪選手への道を改めて志したという。
他の候補生より少し年齢が上ではあるが、養成所成績3位、卒業記念レース準優勝の好成績で卒業。デビュー後初レース(2024年5月・富山)は完全優勝を決め、8月にはA級2班に昇班した。

年が明けて2025年、1月〜2月にかけて行われた3開催で連続完全優勝し、2月6日付けでS級2班に特別昇級。S級初レースでは2着となっている。
4月に初出場したG3(川崎)では決勝に進めなかったものの、2日目の二次予選では1着を取っており、今後の更なる成長が期待される。
参考:けいりんマルシェ
森田一郎

埼玉・2001年生まれ(24歳)
学生時代にはインカレでケイリン2位、国体でケイリン優勝など同世代随一の実績で養成所に入所。養成所ではゴールデンキャップ獲得、卒業記念レース優勝、養成所順位2位。
完全優勝から始まったプロデビュー以降、125期として一番乗りでS級に特別昇級(2024年10月)を決める。昇級後に参加した同期対決レース「ルーキーシリーズプラス」では期唯一のS級としてしっかり優勝し、エース街道を突っ走ってきた。

しかし11月には落車を伴う失格、年明けには新型コロナ罹患や腰痛を原因とする1ヶ月以上のレース不参加など、苦労するタイミングも。長い競輪人生で切り離せない問題に直面しつつも、2025年春以降は平均競走得点を徐々に向上させている。
阿部英斗

福岡・2004年生まれ(21歳)
「競輪大好き!目指したい選手像は村上義弘さん!」と、養成所入所時から熱い競輪愛を語っていた阿部。

高校時代は選抜やインターハイ、全日本選手権で表彰台に立つほか、ジュニアのナショナルチームメンバーとして世界の舞台も経験してきた。
養成所の卒業記念レースでは決勝に勝ち上がることができず歯痒い思いをするも、プロデビュー後は10月にA級2班特別昇班、年明け2025年1月にS級2班に特別昇級と着実にステップアップ。2月に初めて出場したG3(小松島ミッドナイト)では決勝進出こそできなかったものの、3日間通じて安定した順位で終えた(3着-2着-1着)。翌月3月に行われた『ルーキーチャンピオン(若鷲賞)』では同期対決を制し優勝も遂げている。
しかし、2025年5月の平塚G3では初日に1着と好スタートを切ったものの、2日目のレースにて落車を伴う失格をしてしまう。その後の玉野のレースも負傷欠場しており、この記事執筆時点では「今は回復と再起の時」といったところだろう。リスタート後の走りに期待したい。
山崎歩夢

福島・2005年生まれ(20歳)
阿部と同じくジュニアのナショナルチームメンバーとして国際大会に出場し、アジア選手権でケイリン優勝、世界選手権でケイリン4位の実力を持つ山﨑。しかし競輪選手養成所を経て、競技を離れ競輪一本に絞ることを選択。その理由は「オリンピックに対する情熱より、グランプリで優勝することへの情熱の方が強いとわかったから」と卒業時に語っていた。

しかし7月の本デビュー戦で、まさかの「先頭誘導員早期追い抜き」により失格。
「4ヶ月間実戦を走れない」という大きなペナルティを余儀なくされたものの、4ヶ月ぶりのレースとなる11月の『ルーキーシリーズプラス四日市ステージ』の優勝を皮切りに、着実に勝利を重ねる。途中発熱による欠場や失格などを挟んだものの、2025年4月25日付けでS級に特別昇級し、先をいく同期たちに追いつく形となった。
記事執筆時点では、まだG3レースへの出場予定は出ていない。父が現役S級レーサー(山崎芳仁)ということもあり、周りからの期待も大きい山崎。これからの上位レースでどのような走りを見せるのか注目したい。
中石湊

養成所時代はこうだったが……

今はこうなっている。
北海道・2004年生まれ(20歳)の中石は、阿部、山崎と同様にジュニアのナショナルチームメンバーとして国際大会を経験してきた選手。今回ご紹介した5人の中で、唯一2025年5月時点もナショナルチームメンバーとして活動を続けている。このアフロも、同じくナショナルチームメンバーの山﨑賢人(長崎・111期)をリスペクトしたものである。
高校時代から国内外の大会で活躍してきた中石は、その経歴からスーパールーキーとして注目されていたが、プロデビューすぐの同期レース『ルーキーシリーズ』の4戦目(松山)で落車、本デビューに出遅れることに。しかしいざ復帰すると無傷の連勝でA級2班に特別昇班(8月)。そこから8連勝まではできたものの、S級への特別昇級がかかった取手F2決勝戦(10月)で3着、惜しくも特別昇級ならず。その後ナショナルチームメンバーとしての競技活動や病気欠場などもあって少し時間がかかったが、2025年3月に無事S級昇級を果たした。
まだG3への出場経験はないが、デビューからここまでの3連対率は96.0%とかなりのハイレベル。競技での進化も合わせ、今後の更なる成長に注目したい。
長い競輪選手生活の、最初の1年を終え

デビューから1年となる125期の選手たちのうち、2025年5月時点で5人がS級2班、14人がA級2班となっている。
S級に上がった5選手のプロフィールを改めてまとめてみると、デビュー1年ながらすでに何かしらの「長い競輪人生の中で経験するであろう苦労」に直面している選手がほとんどである。今回紹介しなかった選手たちも、誰もが平坦な道ではなく、それぞれの苦労に直面し、それを自分なりに解決しながら選手としての生活を送っている。
この競輪人生の「答え」が出るのは、もっとずっと先のこと。その時に彼らが振り返って思うことは、どんなことになるのだろうか。選手として歩き始めたばかりの彼らの道のりを、今後も応援したい。