引き金となった、函館競輪での失格
なんの準備もしていないのですが、心の中をしっかりとお話したいと思い、この場を用意いただきました。地元や同僚の競輪選手、諸先輩方、JKAの皆様、ファンの皆様、競輪場の宿舎で働いている皆様……本当に長い間お世話になりました。36年間、素晴らしい競輪選手生活でした。本当にありがとうございました。
Q:いつ引退を決意されたのでしょうか?
ひとつの引き金となったのは、6月の函館競輪での失格(※この失格により、25年1月からのA級陥落が決まった)。
競輪が好きなので、できることなら一生やり続けたい。けれど、いつかは引退しなくてはいけない。仲間からも「神山さん、A級じゃん!」と声をかけられ、自分としても「どうしよう」と思いでした。今までは突き進んできただけでしたが、あれがひとつの引き金だったと思います。
一生戦い続けたかった
Q:今日、この場で引退という言葉を口にされて心境はいかがですか?
この日が来てしまったのか、という心境です。それくらい競輪が好きだったので。正直、やれることなら一生上位で戦い続けたかったですね。
Q:印象に残っているレースはありますか?
競走のレベルに限らず、たくさんあります。それこそ、昨日のレースも心に残るレースでした。その中でも、はじめて獲った特別競輪が地元・宇都宮でのオールスターだったので、いちばん心には残っています。
競輪選手みんなそうだと思いますが、自分としては、地元でのレースはいつでも特別競輪と変わらないものでした。
Q:今後の活動はなにか考えていますか?
まだなにも決めてないのですが、まずは家族との時間を過ごしながら、ゆっくりしたいと思います。これまでのキャリアを活かして、後輩のためになることができればとも思いますが、いまのところは一休み。そういうときがきたら、報告させてもらえればと思います。
特別競輪16勝は「信じられない」
Q:打ち立ててきた数々の記録については、どう感じていますか?
「よくやったな」という感じです。競輪学校を経て、なんとか特別競輪で勝ちたいという思いでデビューしました。
函館で開催されたふるさとダービーの前夜祭で、滝澤正光さんから「おれはまだ(特別競輪)12勝だ」と言われて、すごいなと思ったのをよく覚えています。抜こうとは思っていなかったですが、よく16回もとれたなと思います。信じられないです。
特別競輪の決勝にたどりつくと、ある程度満足はするんです。でも、競輪に対する姿勢や歩んできた道を評価してもらうには、ここで勝たないといけない、と。そういう気持ちはほかの人より強かったかもしれないです。ただ、決勝に乗っている数もすごく多いので、割合はよくなかったかもしれないですね(笑)。
“負けのなかに勝ち(価値)”がある
Q:競輪の魅力はなんだと思いますか?
「神山は自転車が好き」とみなさんによく言っていただくんですが、「競輪が好き」なんです。競輪の生みの親といわれる倉茂貞助さんには本当に感謝しています。こんな素晴らしい競技は、世界中を探してもないんじゃいかなと思います。
車券を買っていただいている方には申し訳ない部分もありますが、負けたとしてもやり切った感が出せるレースというのがあるんです。逆に、勝っても釈然としないレースもある。そこが競輪の魅力というか、競輪選手としての競輪の魅力だと思います。
負けてもいいわけでは決してないのですが、“負けのなかに勝ち(価値)”がある。それが、競輪に取り憑かれた要因だと思います。「今日の負けのなかになにを感じたか」が大事だということは、後輩たちにも話しています。
Q:36年間、続けられた原動力は?
やっぱり、先ほど話した競輪の魅力にハマったというのが大前提です。競輪というのは、基本的には同じレベル同士の戦いになります。走ってる側からすると、どのレースでも一緒なんですよ。
大きな舞台からはしばらく離れてしまっていますが、いまも特別競輪と同じ気持ちで走ることができていました。昨日のS級の一般戦もそうです。明日のレースでなんとかして1着とってやろう、とずっと思うことができたことが、なかなか辞められない原因だったのかなと思います。
もちろん、ファンの方の声援も力になりました。たくさんの声援をいただいて、「自分勝手に辞められないな」とは思っていました。周りの方の支えが原動力になりました。