さらばエル・ピストレロ、アルベルト・コンタドール波乱の競技人生を辿る

コンタドールが引退を決意した瞬間

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本人が引退を決意したという、2017年のツール・ド・フランスの第9ステージを振り返ってみよう。

ジュラ紀の語源ともなった、ジュラ山脈にある7つの峠を越える第9ステージは、大会関係者ですら前代未聞の激坂ステージだと紹介する。アップダウンを繰り返し、獲得標高が4,600mにもなるこのステージは、タイム差が大きく付くと予想された。個人総合首位のフルームから52秒遅れの8位という好位置に付けていたコンタドールも、逆転を狙えるステージだと考えていた。

事実レースは荒れ、峠の下りでは雨によって濡れた路面での落車が続発。下りでの落車を回避したコンタドールだったが、超級山岳グラン・コロンビエの登坂で他の選手と接触し落車してしまう。幸い大事には至らなかったが、最後の超級山岳モン・デュ・シャの登坂でライバルたちのアタックに付いて行けずに脱落。

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個人総合トップの座を守ったフルームは「暴力的なステージだった」とレース後にコメントした。結果的に落車によるリタイアと、制限時間オーバーによる失格を合わせ、12人の選手がこのステージを最後にレースから去ることとなった。

コンタドールは先頭から4分19秒遅れの20位で終わり、総合争いでも首位から5分15秒の遅れをとってしまう。レース後には、自身がアタックを仕掛ける作戦だったが「ライバルのアタックに対し脚が動かなかった」と語った。この時が自身の中で“引退”という結論へハッキリと達した瞬間であったのだろう。

ツール・ド・フランスが閉幕した2週間後、コンタドールはブエルタ・ア・エスパーニャへの出場と、そのレースを最後に引退することを動画で報告した。

最後のエル・ピストレロ

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コンタドール現役最後の公式レースとなったブエルタ・ア・エスパーニャ2017は、コンタドールのための大会とも言えた。スペインの生んだ英雄の、最後の雄姿を見ようと沿道には連日多くの観客が詰めかけた。レースは同年のツール・ド・フランス覇者であるフルームが個人総合のリードを堅実に守りながら進めたが、観客はコンタドールの攻撃的な走りを見ることにも期待をしていた。どこで爆発するのかと固唾を飲んで見守る中、ついに第20ステージで劇的なドラマが繰り広げられる。

個人総合争いの最後の場となる第20ステージは、魔の山と呼ばれる超級山岳アングリル峠がフィニッシュ地点。平均勾配が15%もある激坂では、有力選手は大きく遅れないよう、リスクを避けながら登る。ここでの遅れは個人総合優勝争いで致命傷となりかねないからだ。

しかしコンタドールは違った。安全に走る周りの選手をよそ目に、単独でアタックを仕掛け、華麗なダンシングで独走を始めた。沿道へ詰めかけた大勢のファンは興奮し、熱狂に満ちた声援がコンタドールを後押しする。そしてリズムを保ちながら激坂を駆け上がり先頭でゴールをすると、ファンが待ちわびたピストレロポーズを披露した。

レース後コンタドールは「個人総合のために走っていたら、ステージ勝利はなかった。果敢にアタックを繰り返したことを、多くの人がいつまでも覚えていてくれるはずだ。」とコメントした。

この大会での個人総合優勝を果たしたフルームは、ツール・ド・フランスとのダブルツールという偉業を達成した。しかし大会のもう一人の主役はコンタドールだった。そして、それは記録にも記憶にも残る選手にとって相応しい幕引きであった。

コンタドールの社会貢献活動

チーム、国籍を問わず多くの選手からの尊敬を集めるコンタドール。そんな彼の名前を冠する「アルベルト・コンタドール基金」がある。基金の目的はふたつ。ひとつは、脳卒中についての認知を高めること。そしてもうひとつは、より多くの人にサイクリングを好きになってもらうこと。どちらも自身の過去の経験に基づいている。

スペインでは死因の第2位が脳卒中である。そして自身も生死をさまよった経験から、多くの人に病気のことを知ってもらいたいという切実な思いが込められている。

加えて、少年時代から取り組んできた自転車への恩返しがある。自転車と出会わなければ今の自分はなく、多くの人にサイクリングをしてもらうための良い環境を作りたいと考える。

サイクリングは僕の人生であり、僕の情熱だと語るコンタドールは、引退後もさらに大きなステージで走り続けるだろう。

Text : D.Inoue

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