次なる野望は
その後、ランクルも納車され、夢の2台体制となった中野慎詞。競輪選手デビュー直後に夢を全て叶え切ってしまったのではないか?と思うが、夢は叶えきれていない。
「次はフェラーリを手に入れたいです。師匠の佐藤友和さんがフェラーリに乗っている事に憧れ、競輪選手を目指したのもあるので、その夢を叶えたいですね。2024年のパリオリンピックへ出場し、その後2年以内に手に入れたいと思っています。
その為には、S級のトップ選手として活躍していなくてはいけません。“慎詞は競輪も強いし、フェラーリにも乗っていてカッコいい”と、自分が小さな頃に憧れた佐藤友和さんのようになりたいんです」
中野慎詞にとって、車とは自身を奮い立たせパフォーマンスを向上させる存在なのだ。若干24歳、競輪選手デビューから1年も経っていない大型ルーキーは、野望も大きい。アガりの車は?と尋ねたら、ラ・フェラーリという答えが返ってきた。非常に希少な車であり、市場価格は軽く億越え、しかもお金を出せば誰でも買える類の車ではない。
「欲しいからといって、誰もが買える車ではないですよね。それをを乗りこなすには経営者になる事もひとつの条件だと思っています。いつか社長にもなってみたいという夢もあります。人生において、常にトップを目指し続けたい性分なんです。常に限界を超えていくような……限界?……気のせいです!(笑)」
ひとつステップを登る度にさらに多くのステップを見つけ出す。見据えるフィニッシュラインは常に遠ざかり続けているのか。
「僕はリスクがあっても常にチャレンジをしていきたいと思っています。競輪選手も経営者も、怪我をしたり倒産のリスクもあります。常に崖の上を歩くようなイメージ。僕はそういう状況の方が頑張れるんです。
リスクがある代わりに、自分が頑張って成功した分だけ報酬を得る事が出来ます。その方が楽しいですよ」
競輪選手養成所を卒業し、迎えた初めてのシーズン。中野はカナダで行われた競技の大会で落車し骨折。一時戦線離脱を余儀なくされ、パリオリンピックの代表候補争いに一歩遅れる形となった。
更に翌シーズン、エジプトで行われた大会ではケイリンで金メダルを獲得し、一躍本命へ躍り出るかと思われた矢先、今度は日本の競輪で怪我をし、再び戦線離脱。
思うように自身のパフォーマンスを発揮する機会が無かった中野だったが、2023年の世界選手権でついにケイリンで銅メダルを獲得。最も重要視される世界選手権のケイリン種目でメダルを獲得したことは、パリオリンピック代表争いでは大きな意味を持つ。
競輪選手としてデビュー後30連勝を重ね、負け知らずのエリートと見えるも、実は沢山の苦渋を舐めてきた中野。だからこそ、浮き沈みへ対する心構えがある。
「競輪選手の面白い所は1レースごとに賞金がもらえ、選手生命が長い所です。他のスポーツでは調子が良くない期間が1シーズンも続けば戦力外になってしまうこともありますが、競輪はレース毎の着順によって賞金がもらえます。自分の頑張り次第で収入が変わるから、より夢中になれると思います。仮に落ちる時期があったとしても、自分の頑張り次第でまた這い上がることができますし。
競輪選手は自分の努力次第で賞金も変わってきます。僕の場合は努力して勝ち取った賞金でランクルやGT-Rを買うことができました。競輪で頑張って勝つことで、その他に自分が叶えたい夢を叶えるきっかけを作ることができます。
そして自転車競技というスポーツは、スポーツ経験が無い人でも強くなれる可能性があるんです。本当に努力が結果へ反映されやすいスポーツだと思います。なので少しでも興味があれば、ぜひトライしてみてほしいです!」
撮影協力:自転車の国サイクルスポーツセンター
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